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Re[66]: つれづれなるままに 22
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/03/14(Sat) 17:38:33)
| ここからはわたしに思われたの書いてくよ。
No45499について、 (Hu-L5)の最初の方のところから、 (Anp) 「自然的態度の素朴さ」ってして見て、この素朴さをフッサールは ・(a)日常的人間の素朴さ ・(b)近代の客観的諸学の素朴さ に区別してるみたい。
No45451の(Hu-L1)になかに、『日常の実践的な生活は素朴であり』っていうのがあるんだけど、この「素朴」っていうのが(a)なのかかはよく分かんない(両方とも「日常」って書いてあるから)んだけど、ひとまず両方を指してるってして見とく。
(b)の〔客観的諸科学〕っていうの、フッサールはどういうのかな?って思って。 (Hu-L6,7)は、 No45474 のAと同じようなことが書かれてある感じなんだけど、 ここに〔客観的学問〕、〔自然科学〕、〔論理学者〕ってあるから、〔日常的人間〕に対して、ひとまず、自然科学者や論理学者の素朴さ、ってして見ることにした。 今では「物理学者」「心理学者」「政治学者」「言語学者」…みたいに学問が細かく分けられているみたいなんだけど、こういうのをまとめて〈科-学者〉って言うことにしよっかな、って。 で、ひとまず、 (a)の〔日常的人間の〕に対して、(b)を〈科-学者の)素朴さ、ってして見ることにしたよ。
たぶんだけど、フッサールのばあいこの〈科-学〉には「哲学」は入ってないと思う。 ちなみに、前に〔「科学」とか「学問」の分類〕でネットで調べたら日本の文部科学省では「哲学」っていうのも「科学の一つ」になってるみたい。 こういう〈科の中で生きる〉っていうことで見ると、就職っていうのも〈○○っていう科として生きる〉っていうことになるのかも。たとえば、○○に「政治家」っていうのも入れることもできると思う。 あ、話が広がっちゃうからやめる。 〔日常的人間〕っていうのは〈科-学者ではない人〉ってして見ると、わたしのような人のことなんだと思う。 でもね、〈科-学者〉だって基本、“日常的人間を生きてる”ことにはかわりないんじゃないかしら。 No45259の(M)のメルポンのを想い出してる。『人間的実存』を〔日常的人間〕って見るわけね。
「自明性」なんだけど、 No35001にも書いてあって、『日常的実存』を〔日常的人間〕ってして見て、『ひとびとが常識の「自明さ」を最後まで問いつめた試しはいまだかつてなかった』とかある。 あとどこかで書いたと思うけど探し出せなかったので再掲しとく。 『デカルト的省察』の訳注に、 (Sv)――――― 【自明なこと】フッサールは『論理学研究』においてもこう述べていた。「哲学者はまさに《自明なこと》の背後に最も困難な諸問題が隠れていることをも当然承知していなければなるまい。逆説的ではあるが、しかし深い意味をこめて、哲学とは平凡な事柄についての学であるとさえ言えるほどである」と。(FD訳注p318) ―――――――
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