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Re[65]: つれづれなるままに 22
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/03/13(Fri) 18:22:20)
| No45493の「徹底主義」やNo45451の「素朴」っていうのが出てきてるのが現象学事典のなかにあったので書き出しておきます。
素朴さ[(独)Naivität](p292) のところに、 (Hu-L5) —――――――――――― 現象学の「ラディカリズム(徹底主義)との対比の上で自然的態度を特徴づけるためにフッサールがしばしば用いる語。 日常的人間の素朴さと近代の客観的諸学の素朴さとが区別されている[FTL6]。 たとえば形式的論理学は、その主題領域に「直進的」(geradehin)にむかう点において素朴であり[同161]、その結果本来の目的からずれてしまったり、また論理的諸形態を構成する活動が隠蔽されてしまう[同184,222,参照:207]。 『論理学』においては、論理学が世界の存在を前提していないかどうかを検討しようとしない素朴さがくりかえし問題とされる[同133] (Hu-L6) —――――――――――― 『危機』においては、「理念の衣」(Ideenkleid)、「記号の衣」(Kleid der Symbole)が生活世界のすべてを被ってしまったことが素朴とされ、このような素朴さがどのようにして成立するにいたり、また機能しているのかを問う「ラディカル(徹底主義)な問い」を立てる必要が強調される[Krisis52]。 現象学にあっては、すべての素朴さを克服して真の真理を獲得しようとする新たな「ラディカリズム」が求められ[Hu 8. 20]、「論理学、すべてのアプリオリ、古くて尊いスタイルの哲学における証明のすべて」はエポケーされるべき素朴さに数え入れられることになる[Krisis 185]。さらにこうした「〈超越論的〉との対比のうえで特徴づけられている」素朴さのほかに「絶対的認識、絶対的かつ全面的な正当化による認識という理念に導かれない認識」のもつ素朴さという言い方もなされ、超越論的主観性を地盤としてなされる認識も、必然的批判に付されないかぎりはこの後者の意味において素朴であると断ぜられる[Hu 8. 172, FTL280,295,Krisis 158,178,190]。 ―――――――――――――――――
自明性 [(独)Sebstverständlichkein](p207) のところに、 (Hu-L7) —――――――――――― ・@現象学の「ラディカリズム(徹底主義)と自然的態度とを対比する文脈でフッサールはしばしば「自明性」という言い方をする。 自然的世界においては、「自明なものとして現実に存在する世界」が地盤(Boden)となり、「可能であることが自明な企図」や「自明な諸類型」の地平(Horizont)が存在する[Krisis 70,182-183]。世界とは「あらかじめ与えられた自明性の唯一の宇宙」[同183]、「いかなる客観的学問にとって欠くことのできない、無限の自明性の名称」[同208]にほかならず、さまざま理論的思惟するも、あらかじめ与えられていることが自明な経験世界を地盤として営まれる[同208]。 A一方、いったん成立した自然科学の理念性の結果、たとえば色や音などの第二性質をあたかも純粋な形態の世界の出来事)光や音の振動)と見なすこともわれわれにとっては「自明性」であり[同35,38,42,参照:192]、あるいは論理学者にとっては真理自体の存在が「自明性」であるとされる[FTL206-207]。 B現象学の態度変更によって「エポケー」されるのは、この地盤としての世界をはじめとしたさまざまな自明性にほかならない[Krisis 182-183]。フッサールによれば、「主体的な思索者(selbstdenker)」、「自律的な哲学者(automomer Philosoph)」たらんとすれば、自分にとって自明性はすべて先入見(Voruteil)と見なさなければならない[同73]。こうして自然的態度やその中での諸学問によっては決して問われることのないさまざまな自明性を、「問題のあるもの」謎めいたもの」として学的な主題とし、世界の存在という普遍的な自明性そのものを了解(Verständlichkein)にもたらすことが超越論的現象学の課題となる[Krisis 184,208,参照:FTL 19,274]。 Cなお、精神医学の分野においても、ブランケンブルクは分裂症の基本障碍を「自然な自明性」(natürliche Selbstverständlichkein)の喪失とし[『自明性の喪失』105]、これをフッサールの現象学的エポケーやハイデガーの実存分析との対質によって解明しようとしている。 ―――――――――――――――――
ちょっと長くなっちゃたので、わたしのは後で。
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