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Re[92]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/11(Fri) 19:10:01)
| No42037のつづき
(M-V)の、 『それ自体おのれが何であるかを語らざるをえなくなるような質問をしつらえたりすることである哲学』 ここんところ、ハイデガーの No27145 『現象学は、アポファイネスタイ・タ・ファイノメナ、すなわち、おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせるということにほかならない。』 に似てる。
あとわたしのばあい、『対〈自〉』を〈客観〉、『即〈自〉』を〈主観〉ってして見てる。
いまさらだけど、「現象学」って、「問いかけの哲学」だったのね。そして、対象の〈思考-概念〉っていうより〈意味〉としての対象を問うてる、みたいだったのかも。
なんか長くなっちゃたけど、メルポンの現象学のわたしの、わたしに再認識できたかも。
(M-P)の序文に、 『現象学とは何か。‥‥世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。』 ってある。わたしメルポンのに興味あるのはこいうところからね。
現象学のやメルポンの読んで見ようっていう気にならない人には関係ない話しだから、そんなのおかまいなしに、ここわたし用に使わせてもらってるから、遠慮なく言いたい放題ね^^
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