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Re[27]: 無味無臭透明な芯
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□投稿者/ pipit -(2026/02/23(Mon) 16:21:28)
| 2026/02/23(Mon) 17:16:32 編集(投稿者)
パニチェさんこんにちは、レスありがとうございます(^▽^)/
No45408 > 私は以前は“私”を「束」という表現を使ってました。 > 立場や役割、性別や個性などなど、さまざまな細い1本1本が集まった束。 > > 父親、夫、ビジネスマン、男、友人、短気などなど。。。 > > でもその1本1本は他者にも当てはまる言語化可能なものであって〈私〉そのものではない。 > もしこの束に〈私〉のような芯がないとすれば仏教の無我と完全に一致するだろう。 > > でも、もし芯がないとすれば「(永井均氏の表現を借りれば)この目からだけ現実に世界が見えており、この体だけが殴られると現実的に痛く、この悲しみだけが現実的に直接的に悲しい唯一の存在者」となりえるのか? > > 他者との決定的な違いをもらすこの差異はどこから生じているのか? > 言語化不可能な透明無味無臭の芯が存在する証左ではないのか。。。<
「束ねる働き」があるにしても、集まるものがそれぞれ違いますもんね。直接知るのは直接集まってくるものだけだし(それ以外の実際の働きは推測だし)・・・言語化不可能の唯一性(芯)が実存するという考え方なのかなぁ。 全然わかってないと思うけど、今の段階ではそのような感想を持ちました。
永井均先生たちの議論、私には難しすぎて、わたしが取り組むにはまだまだ先になりそうです(;^_^A 道徳論とか興味あるんですけどね(o^―^o)v
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