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Re[46]: つれづれなるままに 22
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/02/14(Sat) 16:40:26)
| No45319からの、
メルポンが〈対象としての自然〉(科学やコギトした自然)と〈出来事としての自然〉(生まの自然)を区別してるっていうことについて、
No41741『行動の構造』のなかから、
No30397で抜粋した、
『〈現実に存在するものとしての世界〉についての知覚的意識は、〈無数の真なる判断の対象としての世界〉についての〈知性Ⓣ期意識〉とは異なるものである』(MC下-原注p188)
『〈世界についての知〉と、世界のこれこれの一区画やそれに隣接する地平についての〈私の知覚〉とを混同していけない。(MC下p148)』
に追加して、
『知覚したことと、常識的な言葉で述べるその報告と、知覚経験との区別、話された知覚と、生きられている知覚との区別ぐらいはしておくべきであろう。』(MC下p101)
『〈感覚〉としての赤と、「どんな」赤かと言うときの赤とは区別されなければならない。〈どんな〉という質のうちには、すでに赤という純粋印象と、例えば空間・時間のある広がりを覆うという〈印象の機能〉との二つの契機が含まれている。従って〈認識する〉ということは、つねにある与件を、ある機能において、またある間係のなかで、つまり、それが私にとって意味をもち、しかじかの構造を呈示する「かぎりにおいて」把握する、ということである。』(MC下p123)
っていうのがあった。 ちょっと想い出したので探し出して見ました。
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