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Re[17]: つれづれなるままに 20
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□投稿者/ Appendix -(2025/06/25(Wed) 21:29:22)
| ■No43619に返信(悪魔ちゃんさんの記事) > No43618、Appendixさん、こんちは〜 > > たぶんpipiさまの方が詳しいと思うけど、 > 「超越的」と「超越論的」は別の意味になると思うよ。 > わたしのばあい、前者が〈神的〉で、後者が人間の内(こころ)にある〈神のような的〉ってして見てる。「論」が付いてるか付いてないかで意味違ってくると思うのね。 > > ほら、神って〈何も語らず〉みたいじゃん? > だから、マザーテレサ、何も語ってくれない神のかわりに「神の手の中の小さな鉛筆」になったんじゃないかしら? >
レスありがとう。ある「事典」からの抜粋だが、紹介しておきたい。 「カントによれば、感覚内容を持ち、なおかつ経験に先行する所定の形式(時間、空間、およびカテゴリー<思考の形式>に沿って構成されたもの(現象)のみが経験の対象となることができる。これに対し、この現象以外のもの(物自体)に関する理論的認識は成り立たない。 このようにカントにおいては対象の経験を成立させ、かつ理論的認識の限界を決めているこの一連のあり方が「超越論的」と呼ばれる。 一方、この限界を超えるもののあり方は「超越的」と呼ばれる。 フッサール現象学の場合、対象がわれわれの意識を超えて外部に存在しているようなあり方が「超越的」と呼ばれ、一方そのあり方が意識それ自身にどのように構成されるかという問題に関わるあり方が「超越論的」と呼ばれる。」
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