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■37295 / )  Re[39]: マーラーの9番 
□投稿者/ knowingitself -(2024/05/14(Tue) 12:39:23)
    田秋さん 書き込みありがとうございます


    > 曲全体の構成をみるとチャイコフスキーの悲愴との類似は明らかです。悲愴の2楽章は風変わりなワルツ、それに対して9番はレントラーでどちらも踊り、3楽章は悲愴はスケルツォ(とは書いてありませんが)、対して9番はブルレスク(これはスコアに書いてあります。無理に日本語にすると諧謔曲、ウィキペディアによれば「 ユーモア と辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲」となります)、4楽章はどちらも遅い曲で死を予想させます(9番の最後にはersterbend;消え入るように、死に絶えてと書かれています)

    > ただ両者の死に方はかなり違うような気がします。悲愴は何か地底に引きずりこまれるように感じます。対して9番は全てを受け入れて《昇華》するイメージを持っています。今でも忘れませんが、ロッホランの時は一番最後、ロッホラン(或いはステージ)から何かが立ち上ってホールの天井へ消えていくのが見えた、様な気がします。

    そうですね。私もマーラー9番の4楽章は、暗さとか救いのなさを感じることはあまりありません。美しい音楽だと思うし、救いや満たされを感じて、また聴きたくなります。

    > knowingitselfさんは曲の冒頭に涅槃を感じられたとのことですが、ボクが曲の最後に感じる昇華と、ひょっとすると同じ(或いは同質の)ものかもしれません。確かにマーラーは前作「大地の歌」で東洋思想に深く入りこんでいます。大地の歌は中国の詩から題材を取っているので仏教に特化している訳ではないとは思いますが、涅槃への理解はあったと思います。knowingitselfさんに比べるとボクはこの曲をやはり西洋音楽と捉えていて、その違いが涅槃と昇華なのかもしれません。この曲を聴いて涅槃を思い浮かべる人がいたとしても、「そういう捉え方もあるのか!」と思いこそすれ、全く違和感はありません。


    同質かもしれませんね。「大地の歌」も女声つきの長い終楽章などは、耽美的でハマる美しさです。

    > 今回この曲を生で聴いて感じたことの一つに、やはりマーラーは1楽章に最も心血を注いで書いたんだなあというのがあります。これはベートーベンの第9でも感じるのですが、あれの音楽的クライマックスが第4楽章にあることは間違いありませんが、ベートーベンが最も力を注いで書いたのは第1楽章ではなかったか、と感じています。マーラーの9番の第1楽章も込められた意図が複雑で難解です。日フィルの生を聴いて、演奏者も観客も容易には寄せ付けない作曲家の想いを感じました。


    最も感動するのは第4楽章で、最も緻密に作られているのは第1楽章なんだろう、と感じています。わたしのようなシロウトは掠るのが精一杯ですね。

    > ワルターの9番です。
    > https://www.youtube.com/watch?v=EMarpnKzflY&t=3s
    > 第1楽章、19’40”の金管の強奏がこの楽章のクライマックスです(5連符→19’20”)。最後の審判というか、煉獄に落とされるというか、いつもそう感じます。これが最後の昇華の伏線になっているのかなと思います。

    > ワルターの演奏は金管の強奏の直前、デクレッシェンドしています。金管の一撃をより際立たせるため
    > 曲の冒頭、殆ど音楽が崩壊、というか細胞にまで分割されています。旋律の体をなしていません。冒頭のチェロとホルンによるリズム音型、このいびつなリズムがこの楽章を支配しているのです。その後のティンパニやビオラの3度の6連符は、第9やブルックナーとはまた違った宇宙の始まりを表しているかの様です。
    >

    ここで直面したくないものを突きつけられて、イヤだ、ぞっとする、怖い、これは聴き手それぞれでしょうね。
    こういうことを書くと、まだ聴いていない人に先入観を植え付けるかも知れませんが、この曲は実に美しい名曲です。

    あと、この1楽章は現代音楽の先取り的な可能性を孕んでいる先鋭な要素をもっているということかも知れません。
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■37296 / )  マーラーとニーチェ
□投稿者/ knowingitself -(2024/05/14(Tue) 12:49:38)
    ここはニーチェクラブなので、ぜひ指摘したいことは、

    マーラーの交響曲3番では、言わずと知れたフリードリヒニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」の章句が歌詞に使われている。ニーチェ思想に特化した曲ではまったくないが、何らかの影響は受けているみたい。

    長い曲ばかりのマーラーの交響曲の中でも最長がこの3番。

    長いだけでなく、実に魅力的な曲。これがマーラーの中で一番好きというだけでなく、ありとあらゆる音楽作品から無人島にもっていく一曲だという愛好家も知っています。
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■37297 / )  交響曲3番
□投稿者/ knowingitself -(2024/05/14(Tue) 17:38:06)
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■37298 / )  Re[31]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/14(Tue) 19:44:26)
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■37299 / )  Re[4]: 温情型自由主義を生きる part3
□投稿者/ アートポット -(2024/05/14(Tue) 20:22:11)
    水曜日に朝9時半に居宅介護員にて家に様子見に来るにて忘れないようににて。今日の地活にて凄まじい鬱になって当分地活を休むにて。
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■37300 / )  マーラー3番の補足
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/14(Tue) 23:51:55)
    2024/05/15(Wed) 07:12:02 編集(投稿者)

    knowingitself さんがマーラーの3番とツァラトゥストラとの関係に言及されました。その補足です。

    マーラーがツァラトゥストラから引用しているのは4楽章で、アルトが引用された詩を歌います。
    https://www.youtube.com/watch?v=6aM9hezKudY

    マーラーが引用しているのは「ツァラトゥストラはこう語った」の「酔歌」の最後に載っている詩です。「第二の舞踏歌」にもほぼ同じものが載っていますが、一つ!二つ!というのは3番の歌詞にはありません。

    O Mensch! Gib acht!
      おお、人間よ!心せよ!
    Was spricht die tiefe Mitternacht?
      暗い真夜中は何を語るか?
    》Ich schlief, ich schlief―,
      「わたしは眠っていた、わたしは眠っていた―
    Aus tiefem Traum bin ich erwacht:―
      深い夢からわたしは目ざめた。―
    Die Welt ist tief,
      世界は深い、
    Und tiefer als der Tag gedacht.
      昼が考えていたより深い―。
    Tief ist ihr Weh―,
      世界の苦痛は深い―。
    Lust―tiefer noch als Herzeleid:
      快楽は―心の悩みよりもさらに深い。
    Weh spricht: Vergeh!
      苦痛は語る、過ぎ去れと! と。
    Doch alle Lust will Ewigkeit―,
      しかし一切の快楽が永遠を欲する―、
    ―will tiefe, tiefe Ewigkeit!《
      ―深い、深い永遠を欲する!」

      (日本語訳はちくま文庫「ツァラトゥストラ 下」P345〜346より:傍点は省略)

    これをほぼ正確に使っています。”ほぼ”という意味は、省略している部分はありませんが、繰り返している部分はあるということです。

    ===
    《Weh》について
    ちくまの日本語訳(吉沢伝三郎訳)は《Weh》を上述のように「苦痛」と訳している。一方、全音のマーラーの3番のスコアの解説を執筆している園部四郎氏は「悲しみ」と訳している。

    ウィキペディア
    https://en.wikipedia.org/wiki/Zarathustra%27s_roundelay
    に載る英訳では該当部分に《woe》という単語を用い、weblioでは第一義に「悲哀」を載せる。また、deeplでは第一義に「災い」を載せ、ついで「悲痛、哀れ、憐れ」と訳される。

    私見では「悲しみ」が何となくぴったりするように思う(但し100%根拠のない感覚のみの感想です)。

    パニチェさん、他の日本語版ではどのように訳されているんでしょうね?

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■37301 / )  Re[33]: 純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/15(Wed) 00:11:43)
    2024/05/15(Wed) 00:14:36 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは!
    亀の歩みの図式論です(*_*)

    Without entering upon a dry and tedious analysis of the essential requisites of transcendental schemata of the pure conceptions of the understanding,
    we shall rather proceed at once to give an explanation of them according to the order of the categories,
    and in connection therewith.

    (英訳のpipit日訳・意訳)
    純粋悟性概念の超越論的な図式の本質的な必要事項の分析はドライで退屈なので、
    それよりも、カテゴリーの順序に従って早速(純粋悟性概念の図式についてを)説明していきましょう。

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■37302 / )  Re[41]: マーラー3番の補足
□投稿者/ パニチェ -(2024/05/15(Wed) 09:36:36)
    2024/05/15(Wed) 11:04:35 編集(投稿者)

    おはようございます、田秋さん。レスありがとうございます。

    No37300に返信(田秋さんの記事)

    > knowingitself さんがマーラーの3番とツァラトゥストラとの関係に言及されました。その補足です。
    > マーラーがツァラトゥストラから引用しているのは4楽章で、アルトが引用された詩を歌います。
    > https://www.youtube.com/watch?v=6aM9hezKudY
    > マーラーが引用しているのは「ツァラトゥストラはこう語った」の「酔歌」の最後に載っている詩です。「第二の舞踏歌」にもほぼ同じものが載っていますが、一つ!二つ!というのは3番の歌詞にはありません。

    > O Mensch! Gib acht!
    >   おお、人間よ!心せよ!
    > Was spricht die tiefe Mitternacht?
    >   暗い真夜中は何を語るか?
    > 》Ich schlief, ich schlief―,
    >   「わたしは眠っていた、わたしは眠っていた―
    > Aus tiefem Traum bin ich erwacht:―
    >   深い夢からわたしは目ざめた。―
    > Die Welt ist tief,
    >   世界は深い、
    > Und tiefer als der Tag gedacht.
    >   昼が考えていたより深い―。
    > Tief ist ihr Weh―,
    >   世界の苦痛は深い―。
    > Lust―tiefer noch als Herzeleid:
    >   快楽は―心の悩みよりもさらに深い。
    > Weh spricht: Vergeh!
    >   苦痛は語る、過ぎ去れと! と。
    > Doch alle Lust will Ewigkeit―,
    >   しかし一切の快楽が永遠を欲する―、
    > ―will tiefe, tiefe Ewigkeit!《
    >   ―深い、深い永遠を欲する!」

    >   (日本語訳はちくま文庫「ツァラトゥストラ 下」P345〜346より:傍点は省略)
    > これをほぼ正確に使っています。”ほぼ”という意味は、省略している部分はありませんが、繰り返している部分はあるということです。

    > ===
    > 《Weh》について
    > ちくまの日本語訳(吉沢伝三郎訳)は《Weh》を上述のように「苦痛」と訳している。一方、全音のマーラーの3番のスコアの解説を執筆している園部四郎氏は「悲しみ」と訳している。
    > ウィキペディア
    > https://en.wikipedia.org/wiki/Zarathustra%27s_roundelay
    > に載る英訳では該当部分に《woe》という単語を用い、weblioでは第一義に「悲哀」を載せる。また、deeplでは第一義に「災い」を載せ、ついで「悲痛、哀れ、憐れ」と訳される。

    > 私見では「悲しみ」が何となくぴったりするように思う(但し100%根拠のない感覚のみの感想です)。
    > パニチェさん、他の日本語版ではどのように訳されているんでしょうね?


    結論から返信しますと白水社版(個人的には和訳はこちらの方が好みです)では田秋さんのご明察通り「悲しみ」「悲哀」と訳されています。
    田秋さんから振っていただいて、今回初めて気づいた点が他にもあります。

    白水社版では『酔歌』の小題は『夜にさすらう者の歌』と訳されています。
    参考までに白水社版に載っている詩の部分を以下に引用しておきますね。

    ************************************
    白水社版「ツァラトゥストラはこう語った 夜にさすらう者の歌」よりの引用

    おお、人間よ!耳を澄ませ!
    深い真夜中は何をか語る?
    「わたしは眠った、わたしは眠った──。
    「深い夢からわたしは目覚めた。──
    「世界は深い、
    「昼が考えたよりも深い。
    「世界の悲しみは深い──、
    「だが歓びは──悲哀よりも深い。
    「悲しみは言う。<<過ぎ去れ!>>と。
    「しかしすべての歓びは、永遠を欲する──、
    「──深い深い永遠を!」

    ************ 引用終わり ************

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■37303 / )  Re[34]: 純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/15(Wed) 09:43:19)
    みなさま、おはようございます(^O^)
    続きの英訳です。

    For the external sense the pure image of all quantities (quantorum) is space; the pure image of all objects of sense in general, is time. But the pure schema of quantity (quantitatis) as a conception of the understanding, is number, a representation which comprehends the successive addition of one to one (homogeneous quantities). Thus, number is nothing else than the unity of the synthesis of the manifold in a homogeneous intuition, by means of my generating time itself in my apprehension of the intuition.

    沼予感ー(−_−;)

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■37304 / )  Re[42]: マーラー3番の補足
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/15(Wed) 11:18:04)
    おはようございます。パニチェさん

    レスありがとうございます。

    詩を読み返すと《Weh》と《Lust》が対になっています。ちくま文庫では「苦痛」と「快楽」というペアにし、白水社は「悲しみ」と「歓び」の対にしています。日本語の語感だとそれぞれバランスが取れています。これをもし「苦痛」と「歓び」、或いは「悲しみ」と「快楽」の対にすると、バランスが悪く感じます。要するに詩全体のイメージを掴まえて訳して行かないといけないのですね。

    それにしても「悲しみ」と「苦痛」が同じ単語というのは、訳者泣かせ(?)ですね。日本語だと「悲しみ」と「苦痛」はかなり違いますが、ドイツ語圏の人には「Weh」と聞くと迷うこともない何か一つのイメージが湧いてくるですかね?

    今回はボクのマーラーの9番の話から始まって、それにknowingitselfさんが反応し、今度はマーラー繋がりでknowingitselfさんが9番から3番に飛び、それにボクが反応し、わからなかったところをパニチェさんに疑問を投げかけ、それにパニチェさんが応答して下さり、とても有意義な流れでした。

    knowingitselfさん、パニチェさん、ありがとうございました。

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■37305 / )  チョコレートバニラアイス。
□投稿者/ アートポット -(2024/05/15(Wed) 11:40:12)
    2024/05/15(Wed) 18:44:11 編集(投稿者)

    居宅介護福祉士が様子見に来て、父親に何かあったら一気に困ってにて事になる、食料の入手も困難になる、って説明されて、アートポットさんは考えていますか?、って言われて、何も考えていません、にてって答えてにてにょ。

    スーパーマーケットにて、チョコレートバニラアイスを購入にて食べてにて4年9か月以上歯を磨いて無いので虫歯にならないにてか不安にて珈琲にてうがいにて。

    かっぱえびせん、納豆、冷凍食品、購入予定にて。
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■37307 / )  Iロボット
□投稿者/ 時 -(2024/05/15(Wed) 13:05:21)
    AIモデルGPT-4oがリリースされたようですね。

    全くの素人でよくわからないのですが、このAIは、文章や音声、画像の全ての組み合わせの入力および生成が可能であり、応答速度も人が話すときと同じようだそうです。

    一時期一部界隈で話題になったAIジーザス。聖書を丸ごと学習させるというものだそうで、これによりキリストの言葉がAIで復活するとか何とか。

    当時、これに真似てAI仏陀という事を少し考えましたが、即座に却下しました。なぜならば、聖書と同じく、仏典を学習させたとしても、その仏典の原文自体をどれにするかでお話の内容が変わってくるからです。所謂、各宗派の教えとしての原典の事ですので、現行と同じ事ですね。

    仮に、AI仏陀が復活したと仮定したとしても現行とほぼ変わらないように感じますが、それでも僧伽の分裂以前の初期仏教、続く部派仏教等、そして日本仏教とそれぞれの背景が歴史的には分かりやすくなるのかもしれないなぁと。それくらいでしょうか。その中のどれを選択するのかは、各人次第という事でしょう。何よりも入力者の意図が大きく反映されそうに思えます。

    対して、自身で感じ取る倫理観や想い等は、省略排除されるような気がします。可能性として、所謂、盲信に近い状態の人がより増えるのではないでしょうか。

    古くは、ウォーゲームやターミネーター、Iロボット、マトリックス等の世界観が頭をよぎります。

    人類が人類により作られたAIにひざまずき、AIに管理される日はそう遠くないのかもしれません。その時、入力者の意図することを超えて、人類は自ら思考することをやめて自然に還るのかもしれないなどと想像したりしています。

    今後、AIのはじき出す世界の最適解は?人類はそれに賛同することができるのでしょうか?

    科学の進化により便利になったからとて、心の平安は獲得できないでしょう。

    まさかまさか、生きている間にこのような世界の入口が見える処に立つことになるとは、想像だにしませんでしたが、不毛な戦いの幕開けには変わりないでしょう。
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■37308 / )  虎に翼 韓非子「難勢篇」
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/15(Wed) 16:11:42)
    「虎に翼」は韓非子の「難勢篇」という篇に出てきます。この篇は慎子という人物の言葉で始まっています。慎子というのは法家の思想家で詳しいことはあまりわかっていません。「慎子」という書物がありましたが散逸してしまい、今は断片(を集めたもの)しか残っていないそうです。

    慎子はまず
    「空飛ぶ龍は雲に乗るが、雲が消えれば(雲に乗ることもできず)ただのミミズと同じだ」
    と言います。そして
    「それは龍が拠り所を失ったからだ。賢人でありながら愚か者に屈服しなければならないのは賢人に権力がないからであり、愚か者でも権力があれば賢人を服従させることができる。聖人の堯でも無位無冠であったなら3人も支配できなかったであろうし、愚か者の桀も天子の座にずっと留まっていたならば世界を支配することができたであろう」
    とし、
    「以上のことから権勢や地位こそが頼りになるものと悟ったのである」
    と言います。

    それに対してある人が反論します。
    「龍が雲という後ろ盾を頼みにしていない、とは言わない。しかし、賢人を無視して権勢だけを頼りにしてはたしてうまく政治を行えるであろうか。そんな例は見たことがない。そもそも龍が雲に乗れるのは龍にそれだけの才能があるからだ。雲があるからと言ってミミズは雲には乗れない。それはそもそもミミズにはそれだけの才能がないからだ。紂や桀が天子になりながら天下の動乱を避けられなかったのは才能が劣っていたからだ。」
    と言い
    「権勢というものは愚か者が手に入れることもあれば賢人が手に入れることもある。そして世には賢人が少なくて愚か者が多い。だから権勢によって世の中が乱れることが多く天下をうまく治まることは少ないのだ」
    さらに
    「そもそも権勢というものは世の中を治めるのに便利であるが乱してしまうのにも便利である。『周書』にも『虎のために翼をつけてやってはならない。翼があれば、きっと村里に飛んできて、人間をとって食おうとするだろう』と書いてある。」

    ここが「虎に翼」の出典部分になります。ここで補足説明をしておくと周書というのは書経の中で周代について書かれた部分を指します。但し、現在の周書には虎に翼の話はなく、晋代に発見された汲冢周書に載っています。

    この後
    「桀や紂が悪行を行えたのは天子という位にいたからで、これが翼に相当する。もしも桀や紂がただの人であったならすぐに死刑になっていたであろう。天下を治めるのに権勢だけで十分だと主張するものは知恵が浅いのである。」
    と結びます。

    以上の話に対してさらに論難する人が現れます。反対の反対ですから最初の慎子の立場からの発言です。「ある人」の論理ということになっていますが、多分韓非子の考えではないかと思います。ただ理解できない部分もあるので、わかったと思うところを所々言葉を補足し、或いは省いて書いてみます。

    尭や舜のような賢人、また紂や桀のような極悪人も千世代に一度現れば良い方だ。その他の君主と言えば、尭や舜ほど賢人でもなく紂や桀ほど愚かでもないのが殆どだ(並の君主)。そういう君主がもし法律による政治を行えば世の中は治まるが、もし法律に従わなければ世は乱れるであろう。

    並の君主が千世代法でもって治め1世代だけ桀、紂が法で悪政を極める場合と、並の君主が千世代法を用いず治め1世代だけ尭や舜が人徳で世を治める場合を比べると、前者が良いのは明らかである。

    大体そのような事が書かれていると理解しているのですが、くれぐれも人に話すときは自分で原典に当たってからにして下さい。m(_ _)m

    現代に置き換えてみると、法治国家を思い浮かべれば物凄く誤った理解にはならないと思いますが、今よく言われる「マニュアル」ですね。これがしっかりと定められ、これをよく理解し、これを判断の糧にすれば、ほどほどの人物でも物事にうまく対処していける、ということを言っているように思います。

    以下は法に関する私見です。並の人間に法を管轄させると四角四面に法を適用し、臨機応変ができません。ただ臨機応変をやりすぎると蟻の一穴から堤防が崩れるように次第に法が乱れてきます。その辺りの匙加減が大変微妙で難しく、やはり統治者は有能でなければならないと思います。

    (中公文庫「韓非子 下」町田三郎訳注を参考にしました)

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■37309 / )  証券会社。
□投稿者/ アートポット -(2024/05/15(Wed) 18:05:10)
    2024/05/15(Wed) 20:08:50 編集(投稿者)

    2日続けて証券会社から電話にて限界を感じる。なんで家の電話番号知ってるのか聞いたらタウンページハローページで電話にているとの事。一二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <鬱になりそうにてアイス珈琲飲むにてにょ。

    追記 警察に通報するぞって電話切る。
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■37310 / )  Re[32]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/16(Thu) 18:50:24)
    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の中の第50,51,52節からのわたしの抜粋が書けたんだけど、いまのわたしが想定しているのを先に書いとくと、
    No37289の訳注(38)にある、

    〔「対になること」によって初めて、「私の」と「他者の」が言わば同時に生成してくる〕

    っていう見方ね。

    ってすると〜、
    何と何が対(つい)になるのかしら?
    これが今回のわたしの物語りのテーマになるのかな?

返信/引用返信 削除キー/

■37311 / )  Re[82]: 交響曲3番
□投稿者/ knowingitself -(2024/05/16(Thu) 19:10:04)
    前に、アーノンクールがモーツァルトの最後の三つの交響曲を一つの曲として演奏したという書き込みをしました。長くて大変だろうと(笑)。1時間50分かけていたが、マーラーの3番はそれよりちょっと短いくらい。

    歌詞つきといっても、全体からするとほんの短い時間です。

    退屈で長いだけなら金を払ってまで聴く人は誰もいないに決まっているが、そうではないということです。

    この交響曲は、「真夏の朝の夢」という標題がつくこともあるが、初夏の瑞々しい感覚に満たされている。マーラーが湖畔から開ける豊かな自然をすべて音楽で表現したと、弟子のワルターに語っているくらいです。

    ニーチェ的というなら、鉱物からはじまって、動植物、全自然、天使にいたるまで、存在の全肯定。
返信/引用返信 削除キー/

■37312 / )  地活にて。
□投稿者/ アートポット -(2024/05/16(Thu) 20:44:10)
    昼に無言電話にてイライラにて「我々与党にて、悪を倒す。」って叫びまくってにて、地活にて「与党の人に迷惑になるので叫ばずに地活の名前をアピールにてほうが良い。」って助言され更に「地活にも迷惑になるって思ったら叫ばないほうが良い。」って助言されてにて。

    地活に以前、「ケイサツに頼まれて嫌だけど相手にている。」って話すヒトがいて、みんなに助言を求めたら「患者さんの妄想にアートポットさんが飲み込まれてアートポットさんの妄想も酷くなっている。」って助言されて納得なう。

    自立支援の更新書類を書く時に見張られている感覚で正気を失いそうになる(注察念慮、注察妄想)って助言を求めたら「自分の事の書類=自分の内側なので混乱する。逆に周囲をよく見て、見張っているヒトなんて居ないな、って思うことが重要。」って患者仲間に助言されてマッタリにてにょ。
返信/引用返信 削除キー/

■37313 / )  Re[33]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/17(Fri) 18:45:14)
    今回のわたしの物語りのメインテーマに入る前に、ちょっとお喋り。

    No37310のつづき

    No37289の訳注(38)に、
    「我は汝と対比のなかで初めて構成される」(『間主観性の現象学』第一巻)
    ってあるけど、
    No37237のなかにも
    「我と汝の合致」
    ってあった。

    それにしても、わたしの物語り、おもしろくないかな〜?
    ちょっと気になっちゃりして。

返信/引用返信 削除キー/

■37314 / )  Re[34]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/17(Fri) 18:55:45)
    もうちょっと、
    No37289 に関連して、
    No37109の(3)のなかに、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (a)他我構成論では、〈省察する自我〉は固有領域への還元を行うとされた。だが、超越論的経験の領野を「私に固有の」領域へと還元する操作は、〈省察する自我〉の持つ「私」という意味を前提にしなければ不可能なのである。

    (b)以上のようにフッサールによる他者経験の志向的構成能作の解明は、「私」という意味について不問に付されたまま分析が進められている。その結果、他我構成論においては、超越論的自我や固有領域への還元において自己統覚された精神物理的自我(あるいはモナド)といった自我概念が、「私」あるいは「自我」という表現を介して〈省察する自我〉に静態的分析の構造上結びついており、それらが「私の」超越論的自我や「私の」モナドであることについては分析の俎上に上ることがない。

    (c)そのため、フッサールの分析の各段階における自我概念は、「私」という意味をめぐって交錯し重なり合い、概念的動揺をきたすこととなるのである。こうして我々は、他者との関係性を既にそのうちに孕むこの「私」という意味が、他我構成論のどの段階において問題とされているのか不明瞭なまま他者経験の分析を行うこととなり、絶えず混乱した状況におかれることとなる。

    (d)我々がその混乱した状況にはっきりとした答えを与えられるのは、「他者(Andere)は、現象学的には私自身の変容態として現れる(私自身は、今や必然的に生じ対照をなす対化によって、この私という性格を自らの側で獲得する)」(I,144)というフッサールの対化に関する記述に出会うことによってである。ここでわれわれは、初めて明確に「私の」という性格が、対化によって獲得されることを知ることができる。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ってあった。
    流れ的に切りのいいところを書き出したんだけど、
    (d)にあるような、小林さんにはっきりとした答えを与えた、フッサールが言ってる(I,144)のところ、
    (3-d)〔他者(Andere)は、現象学的には私自身の変容態として現れる(私自身は、今や必然的に生じ対照をなす対化によって、この私という性格を自らの側で獲得する)〕
    なんだけど、
    No37289 の本文(D)の
    (52-D)『他者は、現象学的には自己の「変様」として現れるのだ(私の自己が「私の」というこの性格を受け取るのは、ここで対になることが必然的に現れて、対比が行われることによってである)。』
    っていうところとよく似てる。たぶん同じところなんだと思う。
    訳し方として「変様」が「変容」、「自己」が「私自身」だったりしてるけど。

    「変様」については、
    No36130に出てきる。

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■37315 / )  Re[44]: 虎に翼 韓非子「難勢篇」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/17(Fri) 19:02:35)
    お邪魔しま〜す、田秋さん

    今の日本国の「統治者」って誰になってるの?
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■37316 / )  日本の統治者
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/17(Fri) 20:02:01)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    知恵袋に同じ質問をしている人がいました。
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1484155109

    なかなか的を射た回答だと思います。

    日本は国民主権ですが、どう考えても国民が日本を統治しているとは思えません。

    では岸田総理が統治者かというと???です。

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■37317 / )  愛燦々。
□投稿者/ アートポット -(2024/05/17(Fri) 20:02:11)
    人生にて一番高いショッピングは6万円の僕ですが、最近、iPadmini8万円を購入するか悩んでいるにて、8インチらしくてデカ過ぎにて。。一二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <よく考えないとにて。
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■37318 / )  マーラー3番とベートーヴェンの作品135
□投稿者/ knowingitself -(2024/05/17(Fri) 20:37:49)
    田秋さん こんばんは

    マーラー3番の第6楽章は、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲の第3楽章にどこか似ていますね。

    マーラーはベートーヴェンの弦楽四重奏曲をオーケストラ用に編曲したくらいですから、影響関係は自明といっていいのかもしれません。


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■37319 / )  Re[56]: 虎に翼
□投稿者/ akaimi -(2024/05/17(Fri) 21:14:31)
    2024/05/17(Fri) 21:16:00 編集(投稿者)

    田秋さんの虎に翼についてのご投稿を拝見しました。
    ありがとうございますm(_ _)m

    権力の一極集中化を避けるためにも法は大切なものですね。
    国を相手どる裁判で国民が勝訴するなんていうのは大昔にはありえないことでした。


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■37320 / )  純理B181図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/18(Sat) 00:23:46)
    2024/05/18(Sat) 00:40:21 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは。
    No37303の英訳を日訳しました。
    ========
    外官にとって、全ての量(quantorum) の純粋な形象は空間であり、
    感官一般の全ての対象の純粋な形象は時間である。

    しかし
    悟性による概念としての量(quantitatis) の純粋な図式は、数---(同種的な量の)一つから一つへの継起的な加算という理解の一つの表象---である。

    したがって数とは、私が直観を把捉するなかで私自身によって時間を生成するという手法での、同種的な直観の多様の総合の統一に他ならない。
    =========

    (pipit感想)

    @quantorum と Aquantitatis を分けて考えてるのかな。
    @は感性的に体験する量(の純粋形象は空間)で、Aは頭で考える(感性を排除しても成り立つ)概念の量(の純粋図式は数)としてるのかな。

    @は空間に現れるものだけど、それは結局は内官を通して生じるものなので、時間という形式の中に現れる。
    @にAを適用する際の媒介は、数(number)。

    同種のものを継続して加算して、ある数値として表現するのは、総合的統一という行為だとするとき、数えるという行為は、時間を自分で作りながら、今に立つ行為となる....のかな?!



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■37321 / )  日記
□投稿者/ pipit -(2024/05/18(Sat) 00:31:38)
    数(number)
    は、想像力のなせる技、、、という考え方も、おもしろく思えるな

    図式は構想力のお仕事だからね、カント的には。

    おやすみなさい ☆彡
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■37322 / )  Re[12]: ネットニュース
□投稿者/ パニチェ -(2024/05/18(Sat) 12:11:26)
    2024/05/18(Sat) 15:43:21 編集(投稿者)

    まさかの指摘だ サウジ王族がぶち上げた井上尚弥vsデービスに米メディアが“いちゃもん”「イノウエにとって大きなリスクだ」
    https://news.yahoo.co.jp/articles/c6c0bb04e9efea6cf88a7239ae417a1e5f2af048

    金で何でも動かせると思ってるかのような王族の品位を疑いたくなるような取るに足りない話。

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■37325 / )  Re[52]: 中部経典62『大ラーフラ教誡経』
□投稿者/ pipit -(2024/05/18(Sat) 23:18:40)
    みなさまこんばんは♪
    No37285の英訳のpipit日訳です。

    ---------------------
    サーリプッタ尊者は彼が座ってるのを見て、近づきました。
    「ラーフラさん、呼吸の気づき(入出息念・Anapanassati)を修習なさい。
    呼吸の気づきがよく修習されると、とても果があり有益ですよ。」
    ---------------------

    (pipit感想)

    「mindfulness of breathing」と英訳されてる原語は、Anapanassati(※記号省略)。カタカナ読みの「アーナパーナサティ」も日本でも耳にします。

    ラーフラ沙弥は、師匠?のサーリプッタ尊者からもアドバイスを受け、呼吸瞑想に励むようですね。
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■37326 / )  マーラー3番とベートーヴェンの作品135
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/19(Sun) 08:24:16)
    2024/05/19(Sun) 09:56:25 編集(投稿者)

    おはようございます、knowingitselfさん

    同じようなことを感じている人を見つけました。
    https://www.yonogi.com/entry/beethoven-sq16-mahler3

    ===
    正直、3番の最終楽章が始まったときの感想は

    やっとここまで来たぁ!

    でした(不謹慎と言われようと、何と言われようと^^)。

    しかーし!そこからまだ25分以上30分近くあるんです!!モーツァルトの中規模シンフォニーなら1曲分の長さです!!

    そして 長い遍歴の末、遂にと言うか、やっとと言うか

    最後のティンパニのレ、ラ、レ、ラ辺りは、(やけくそ)トレモロをFF(フォルテッシモ)で弾きまくっていました(こういう時は、背筋をしゃきっと伸ばし、楽器を高く掲げ、作曲家に敬意の念を示し、お客さんと共に感動を味わっているポーズを取るのが作法です)。

    ===
    マーラーも少し反省したのでしょう、次の4番は短めです(たった1時間弱!?)。

    (ならずもの演奏家のつぶやきでした)
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■37327 / )  おくたがわさん江
□投稿者/ 転法 -(2024/05/19(Sun) 10:04:00)
    ■37175に返信

    こちらこそ、おそくなり、もーしわけおまへん、


    > (ストレンジアトラクターは分かりません。wikiを見ても頭に入りませんでした ( oωo ?)  

    ストレンジアトラクターは、せっそーにもよーわかりまへんが、ある範囲内に収まるにも関わらず、どこに収まるかよーわからんものなんでッしゃろ。
    なんでかわかりまへんがねー。

    誤植の件、ありがとーでおました。

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■37328 / )  パニチェあにさん江
□投稿者/ 転法 -(2024/05/19(Sun) 10:15:46)
    ■36955 パニチェあにさんへの返信

    レスが遅くなり、もーしわけおまへん。

    >ってか転法祖師と銅鐸で進化論に関するレス交換ってあったっけ?ごめん、よく覚えてない。

    銅鐸と進化論でレス交換したことはおまへんが、セッソーに続いて銅鐸が創造論と進化論のHPになぐりこんできたのでおました。

    適者生存と自然淘汰というものも、テキトーに生き残り、理不尽に絶滅する無常なる一切世界を擬人的というか、目的があるように人間が勘違いしているというか、理論的なものではないと思いまんな&#12316;。


    正法無常宗祖師 沙門転法(/\)南無一切無常絶対超越真理
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■37329 / )  太陽フレア
□投稿者/ アートポット -(2024/05/19(Sun) 17:13:16)
    太陽フレアで人類にて滅亡にてって噂を聴いて恐怖にて、電磁パルスみたいな事が起きるみたくてにてにょ。ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
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■37330 / )  
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/20(Mon) 09:37:39)
    従兄弟の一人が最近亡くなり、その49日の法要に参列するために大阪の従兄弟がうちに来た。というのも田秋家が本家で一族の菩提寺もうちの街にあるからだ。

    大阪から従兄弟が来るというので見栄を張り、いつもより早めに庭の剪定をし、白石も新しく敷きなおした。


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