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■45560 / inTopicNo.1)  多心象宇宙
  
□投稿者/ knowingitself -(2026/03/22(Sun) 14:21:31)
    > >「心象」としたのは、映像、イメージ、文字などを含むものとして使えるからだ。
    >
    > 例えば、一億二千万人がいま生きているとする。
    >
    > 一億二千万のそれぞれ別の「心象宇宙」があるとみるべき。
    >
    > 「心象宇宙」に先行するものは同じ一つか。

    日本人口を世界人口の82(?)億にかえても同様。

    心象宇宙の間に優劣、選別排除、序列などは一切ない。同位、等価。
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■45547 / inTopicNo.2)  ゲーデルと神学について AI
□投稿者/ knowingitself -(2026/03/21(Sat) 11:50:07)
    1. ゲーデルは強い有神論者だった

    ゲーデルは単なる数学者ではなく、かなり真剣に神の存在を信じていました。彼は世界を「合理的に説明可能な秩序」と見ていて、その背後に知性的な存在(神)があると考えていました。

    この点で、理性によって神の存在を探究するというカトリック神学(特に中世スコラ哲学)と方向性が一致しています。



    2. 「ゲーデルの神の存在証明」

    彼は、アンセルムスの存在論的証明をベースにして、現代論理学(様相論理)を使って神の存在を形式的に証明しようとしました。

    これがいわゆる
    ゲーデルの存在論的証明

    特徴:
    神を「最大の完全性を持つ存在」と定義
    「完全性」が論理的に矛盾しないなら、神は存在する
    様相論理(可能性・必然性)を使用

    これはカトリック神学の伝統的議論を、20世紀の数学的言語で再構成したものです。


    3. 不完全性定理と神学的含意

    ゲーデルの代表的業績である不完全性定理も、神学的にしばしば議論されます。
    ゲーデルの不完全性定理
    → どんな形式的体系でも「証明できない真理」が存在する

    これが意味するものとして:
    人間の理性には限界がある
    すべてを論理だけで説明できるわけではない

    この考えは、カトリックの
    「理性は重要だが万能ではない」
    「啓示(神の働き)が必要」

    という立場と相性が良いと解釈されることがあります。



    4. カトリック神学との親和性

    特に以下の点で近いです:

    理性と信仰の調和
    カトリック:理性で神をある程度理解できる
    ゲーデル:世界は理性的構造を持つ

    プラトニズム

    ゲーデルは数学的対象(数や真理)が人間の外に実在すると考える「プラトニズム」を支持していました。

    これは、
    永遠的真理の存在
    超越的実在
    を認めるカトリック思想と親和的です。


    5. ただし注意点

    ゲーデルはカトリック信者だったわけではありません。
    むしろ:
    個人的・哲学的な有神論者
    神学的教義(教会制度など)とは距離あり

    つまり「カトリック的に見ても共鳴するが、内部の神学者ではない」という立場です。


    まとめ

    ゲーデルとカトリック神学の関係は次のように整理できます:
    神の存在を理性で証明しようとした → 神学と接点
    理性の限界を示した → 神学的世界観と整合的
    数学的実在論 → 超越的存在への信念と近い

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■45546 / inTopicNo.3)  AIに翻弄されてはいけない
□投稿者/ knowingitself -(2026/03/21(Sat) 09:22:10)
    AIを使って思うこと。

    言語や記号、データなどによる抽象化思考は、

    それ自体では、

    現実、リアル、自己の生などとの違和感が

    必ず伴う。

    AIをそのまま真にうけては絶対にいけない!

    でも考えてみれば、

    ネット検査、紙の書物、オールドメディアの情報、

    学校教育、会社や国家の情報共有なども、

    同じようなものだったのかもしれない。

    言語的な抽象思考のリアルからの乖離、現実とのフィードバックを欠いた言語の暴走。


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■45498 / inTopicNo.4)  Re[36]: 二重性
□投稿者/ knowingitself -(2026/03/13(Fri) 16:18:26)
    >「心象」としたのは、映像、イメージ、文字などを含むものとして使えるからだ。

    例えば、一億二千万人がいま生きているとする。

    一億二千万のそれぞれ別の「心象宇宙」があるとみるべき。

    「心象宇宙」に先行するものは同じ一つものか。
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■45475 / inTopicNo.5)  Re[35]: 二重性
□投稿者/ knowingitself -(2026/03/08(Sun) 15:28:33)
    >例えば、「心象」

    「心象」としたのは、映像、イメージ、文字などを含むものとして使えるからだ。

    言語を超えたもの、ことばで置き換えられないものとして、究極の境地を示す立場は多いが、

    言語だけ悪者にするわけにもいかない。

    もちろん「心象」イコール悪者ということはありません。

    日本人の知的活動に必須の役割を果たす漢字をみればわかるように、文字言語は「心象」として、映像やイメージと重なりあう。

    五感による感覚体験を圧縮、抽象化し、定型表現にしたものも「心象」に含まれる。

    音楽も入るでしょう。

    言語的な働きも、数や記号、その他の概念的な型も「心象」に入る。





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■45463 / inTopicNo.6)  二重性
□投稿者/ knowingitself -(2026/03/06(Fri) 15:34:32)
    宗教、スピリチュアル、瞑想黙想観想。こういったところが最終的に行き着くのは、
    二重性だと思う。

    二重性を示す用語法は様々あるが、

    例えば、「心象」と「本源」というのはどうか。

    本体、本源、源でも同じだが、これらはすべて文字、心象でもあるから、

    心象と区別がつかないか。謎のX、ただのXでもいいがこれでも文字になってしまうか。
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■45453 / inTopicNo.7)  ハンスフォンバルタザール
□投稿者/ knowingitself -(2026/03/02(Mon) 14:21:10)
    >バルタザールは単なる愛好家にとどまらず、非常に高いピアノの演奏技術を持っていました。
    * 驚異的な記憶力: バーゼルでの学生時代、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』を全曲暗譜でピアノ演奏し、周囲を驚かせたというエピソードが残っています。
    * 「心の楽譜」: 晩年には、「モーツァルトの全作品を暗記しているから」という理由でステレオを譲り渡したと言われるほど、その音楽を自らの中に内面化していました。

    「全作品」とあっさり言うが、どのくらいの量かというと、

    モーツァルトのCD全集ボックスセットは、

    ブリリアントからのが170枚

    フィリップからのが200枚

    一枚約一時間だとして。


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■45445 / inTopicNo.8)  神学者バルタザール知ってた?
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/28(Sat) 20:14:11)
    日本の読書界でも、神学に興味ある人以外ではまったく無名だと思うが、

    20世紀を代表する神学者にバルタザールというスイス人がいる。

    バルタザールは最初は音楽を志したくらいの優れた耳と感性をもった神学者だ。

    以下AIより。モーツァルトの全作品を暗譜というのはすごいね。バッハもその周りを回る北極星という喩えも。


    20世紀を代表するカトリック神学者ハンス・ウルス・フォン・バルタザールが、モーツァルトの作品を広く暗譜していたというのは有名な事実です。
    バルタザールは単なる愛好家にとどまらず、非常に高いピアノの演奏技術を持っていました。
    * 驚異的な記憶力: バーゼルでの学生時代、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』を全曲暗譜でピアノ演奏し、周囲を驚かせたというエピソードが残っています。
    * 「心の楽譜」: 晩年には、「モーツァルトの全作品を暗記しているから」という理由でステレオを譲り渡したと言われるほど、その音楽を自らの中に内面化していました。

    * 「動かざる北極星」: 晩年、モーツァルト賞を受賞したバルタザールは、モーツァルトを、バッハやシューベルトが周りを回る「動かざる北極星」であると称賛しました。
    * 神学的美学とモーツァルト: バルタザールは、モーツァルトの音楽を単なる好みの問題ではなく、神の栄光(美)を被造界に現すものとして神学的に評価しました。彼はモーツァルトの音楽を、罪や苦しみが克服され、変容した「パラダイスの残響」と表現しました。

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■45439 / inTopicNo.9)  「二重性の神秘」
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/27(Fri) 15:56:26)
    量子論を宗教やスピリチュアルに安直に結びつけることは慎むべきだ。

    各種の宗教やスピリチュアルによる、自説の優位を主張するための、牽強付会な量子論の援用が目につくことは少なくない。

    もちろんキリスト教と量子論についても、両者は基本的に峻別すべきだが、

    「二重性の神秘」(?)についてだけ、ちょっと考えることがあったので。

    「二重性の神秘」こそが、カトリックの本質にあると個人的には考えている。具体的には下記の三つ。

    ・父なる神と子なる神の二重性

    ・キリストにおける神性と人性の二重性

    ・聖体におけるキリストの体とパンの二重性

    ここで二重性とは、二つの性質が分離しているとか、混じり合っているとかではなく、

    二つの違うものが、どちらかとして現れること。同じ一つの本体がどちらか一方

    として現れる。

    同じ一つのリアリティが粒子か波として観測される事態が比喩になるかもしれない。

    二重性といっても、三位一体のなかでの二重性なのであるが、その点はとりあえずおいておく。
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■45424 / inTopicNo.10)  現象学とカントの通底
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/25(Wed) 09:37:45)
    >2. 「観測者効果」と「意識による構成」

    >現象学: 意識はつねに「何ものかについての意識」であり、対象を志向的に獲得し、自らの秩序にしたがって世界を構成していく。

    >量子論: 観測という行為が、対象の状態(波から粒子への収縮)に影響を与える(観測者効果)。

    >共通点: 「世界は主観とは独立してそこにある」のではなく、「主観(観測)によって初めて意味づけられる」。

    どこかカント哲学とも響きあうと思う人は少なくないはずだ。

    フッサール現象学は科学興隆時代におけるカント的な思考の展開例と評する学者や評論家もけっこういるからね。

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■45420 / inTopicNo.11)  量子論は仏教よりむしろ現象学に近くないか
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/24(Tue) 17:32:04)
    AIに本投稿のタイトルにある質問をしたら以下の通り

    ーーー

    量子論が仏教(特に空や縁起)と類似しているという言説は多いですが、質問者様が指摘される通り、量子論の認識論的な側面は、仏教よりもフッサール現象学に非常に近いという見方は哲学や科学基礎論の分野で有力です。

    具体的には、量子力学における「観測問題」と、現象学の「意識への現れ(現象)」は、両者とも「主体(観測者・意識)と客体(対象)の分断を解消し、両者の関係性において実在を捉える」という点で一致しています。
    量子論と現象学の親和性を以下に整理します。

    1. 「関係性」における実在:客観的主体の否定

    現象学: フッサールは「主観ー客観図式(主客二元論)」を克服しようとし、意識に現れる「現象」のみを真の出発点としました。対象は「私」の意識活動(ノエシス)を通して構成されます。

    量子論: 観測される前、量子は「波(確率的な状態)」として存在し、特定の確実な実体ではありません。量子は「観測する主体(計測器や人間)と相互作用した瞬間」に粒子として特定されます。

    共通点: 独立した「客観的な実在」を前提とせず、観察者と対象の相互依存的な関係の中で現象が定義される。


    2. 「観測者効果」と「意識による構成」

    現象学: 意識はつねに「何ものかについての意識」であり、対象を志向的に獲得し、自らの秩序にしたがって世界を構成していく。

    量子論: 観測という行為が、対象の状態(波から粒子への収縮)に影響を与える(観測者効果)。

    共通点: 「世界は主観とは独立してそこにある」のではなく、「主観(観測)によって初めて意味づけられる」。

    3. 未確定性の受容:判断中止(エポケー)

    現象学: 「自然的な態度(対象がそのままそこに存在すると思うこと)」を一度ストップし、先入観を横に置く「エポケー」を行います。

    量子論: 観測するまで物理量は確定しないという「不確定性原理」を受け入れ、確率的な解釈を採用します。

    共通点: 実体的な実在(絶対的な固定存在)を求めることを断念し、現象そのものを記述する姿勢。 

    まとめ:なぜ仏教より現象学か?

    仏教(特に空・縁起): 相互依存性や無常を説くため、世界観(オンソロジー)において量子論の非局所性と非常に似ていますが、その目的は「悟り」や「苦からの解放」という実践的なものです。

    現象学: 量子論と同様に、「認識活動(いかにして認識するか)」、「対象の現象学的な現れ方」を厳密に分析する学問です。特に「物理的な客観性」を疑う物理学者(ボームやハイゼンベルクなど)は、哲学的根拠として意識研究や現象学にアプローチしました。

    質問者様の感覚は、「実在を『関係性(現象)』として捉える」という現代的な認識論的視点において、量子論の哲学的な理解として非常に的を射ていると言えます。

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■45419 / inTopicNo.12)  秘蹟における聖変化と量子論のアナロジー
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/24(Tue) 13:29:06)
    >>パンとワインが聖体となる際、その見た目や味(アリストテレス哲学で言う「偶有性」)は変わらず、その本質・本性(「実体」)がキリストの体と血に変わる

    >「聖体の秘蹟」といってもピンとこない日本人がほとんどだと思うが

    日本最大の大乗仏教宗派となると、浄土真宗だろうか?

    「聖体」は、対応物をあげるとすれば、浄土真宗における六字の名号にあたると思う。
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