運命愛
 
 
「運命への愛」という概念は、ニーチェ思想の中核をなすもののひとつであるが、この語そのものはニーチェの著作中に頻出するわけではない。これが最初に現れるのは『悦ばしき智恵』第4書冒頭のアフォリズム〔276〕で、そこには、新年を迎えるにあたってつぎのように述べられている。「…事物における必然的なものを美としてみることを、私はもっともっと学びたいと思う、──このようにして私は、事物を美しくするものの一人となるであろう。運命への愛、これを、これからの私の愛としよう!…これを要するに、私はいつかは、ひたすらの肯定者になりたいと思うのだ!」。「運命への愛」はさしあたりは、すべての必然的なものをよしとし、あるがままの自らの運命を肯定する一種けなげな心的姿勢、決意と高揚感に溢れた気分として語られている。この語が現れる最後の著作である『この人を見よ』でも、「運命への愛」は、ニーチェ自身の哲学する姿勢に関する信条であるかのように語られている。「…人間の偉大さを言い表す私の決まった言い方は、運命愛である。すなわち、何事も現にそれがあるのと別様であってほしいとは思わぬこと。未来にむかっても、過去にむかっても、そして永劫にわたっても絶対にそう欲しないこと…──そうではなく、必然を愛すること」〔『この人』2.10〕。「運命への愛」という語は、このように一見したところでは「大いなる肯定」を説くニーチェ哲学の基本的姿勢が漠然と表現されているにすぎないもののようにも見えるが、しかし実はもっと複雑な哲学的問題と、それに対するニーチェの解答が隠されている。

すでに17歳(1862年4月)の少年ニーチェが、「運命」(Fatum)というものについて格別な関心を抱いていた。当時同級生でつくった同人誌『ゲルマニア』のために書いた作文のうち、早くも後年のニーチェの思想を予見させるといわれているものが2編あるが、それらは「運命と歴史」および「意志の自由と運命」と題されている。前者はすでに「永劫回帰」の萌芽が見られると指摘する学者もいるが、ここで重要なことは、少年ニーチェがこれらの作文のなかで、自由意志と運命との関係をさまざまに思考していることである。少年ニーチェによれば、「運命とは自由意志に対する無限の対抗力である。運命なしに自由意志は考えられず、それは実在なしに精神が、悪なしに善が考えられないのと同じである」。ここでは運命と自由意志の観念上でも相関性が舌足らずに述べられているにすぎないが、第一の小文の結びになる次の段落は、もっと大胆な考察を進めている。「精神が実体の無限に微小なものであり、善が悪の無限に純粋な自己展開でしかありえないのとおそらくは似通った仕方で、自由意志とは運命の最高の勢位(Potenz)でしかありえない」〔BAW 2.59〕。つまり自由意志というのもは、それ自体としては存立しえず、むしろ誠実に自らの運命を自らに引き受けるところにこそ発現しうる、逆に言えば、自由意志はそれがいかに自由に意志したつもりであっても、まさにそのように自由に意志すべく運命づけられていたのだ、というのである。自由意志がどこまでいっても運命に取り込まれてしまうというこの考えは、第二の小文ではすでに胎生においてすべては決定されていると表現されたり、インド的「業」(Karma)の思想による補強が試みられたりするが〔同 2.61〕、ここで稚拙な形で現れるこの思想は、やがては『悦ばしき智恵』の「自由意志という迷信」〔345〕という言葉となり、さらに展開して「最高の決断による危急(Not)の転回(Wende)が必然(Notwendigkeit)であり運命である」というツァラトゥストラの教説〔『ツァラトゥストラ』3-14〕になっていく。

少年ニーチェは、第二の作文を「運命から解放された絶対的な自由意志があれば、それは人間を神にするであろうし、宿命論的原理は、人間を自動機械にしてしまうであろう」と結んでいるのであるが〔BAW 2.62〕、自由意志がそのまま運命であり、逆に運命を肯定することがそのまま自由な意志の決断であるというこの微妙な関係を理解せず、単純に運命の絶対的支配の前に屈従する生き方を、ニーチェは『人間的』第2部第2書のあるアフォリズム〔61〕では「トルコ式宿命論」(derTurkenfatalismus)と呼んでいる。この宿命論の根本的な誤りは、「それが人間と運命をふたつの異なったものとして対立させていること」である。それは人間は所詮運命の力に逆らうことはできないと諦め、すべての意志を放棄して、運命に委ねるのである。これに対してニーチェは言う。「真実のところは、あらゆる人間が自ら一片の運命なのである。…運命に逆らおうと思っていても、そう思うことにこそ運命の現実である。〔運命との〕闘争は妄想にすぎないが、あの断念による運命への帰属も同様に妄想である。これらすべての妄想は運命のなかに含まれている」。ここには、すべての神々さえ服従しなければならないというギリシア的モイラ(運命を司る神)の観念が影を落としているが、同時に、そうであればこそ、運命の消極的な承認ないしは運命への単なる服従から転じて、運命の積極的な「愛」に向かうことの意味と必然が暗示されている。そしてこの消極的な「運命受容」から積極的な「運命への愛」への転換が、『ツァラトゥストラ』において、もっと極端に言えば「永遠回帰」の思想を通してなされるのである。

作品『ツァラトゥストラ』に「運命への愛」という言葉は一度も現れない。だが次のような箇所では、明らかにニーチェ的な意味での「運命」と、その運命への「愛」が語られている。「おお、わが意志よ!おまえ、いっさいの危急の転回よ、わが必然よ!私が、すべてのちっぽけな勝利に惑わされないように護ってくれ!/おまえ、わが魂の定めよ、私が運命と呼ぶものよ!わが内なるものよ!わが頭上なるものよ!ひとつの大いなる運命に殉ずる日まで、私を護り、惜しんでおくれ!/そしてわが意志よ、おまえのめざす究極のもののために、おまえの最後の偉大さを大切に保ってくれ」〔3-12.30〕。「──あなた方がこれまでに、一度あったことを二度あれ、と欲したことがあるのなら、あなた方がこれまでに〈おまえは私の気に入った、幸福よ!刹那よ!瞬間よ!〉と、語ったことがあるのなら、そのときあなた方は、いっさいのものが戻って来ることを欲したのだ!/──いっさいのことがもう一度、いっさいのものが永遠に、鎖と愛情の糸に結ばれたまま、戻って来ることを欲したのだ。おお、世界をそのようなものとして、あなた方は愛したのだ」〔『ツァラトゥストラ』4-19.10〕。ここには最高の自由な意志の行使がそのまま運命に対する大いなる肯定であることが、そして現実の生の一瞬に対する「よし!」がそのまま過去と未来をも含めた世界全体への「よし!」であることが語られている。「永遠回帰」を見据えた上での瞬間への肯定は、そのまま世界全体への肯定であり、運命への愛である。

「運命への愛」の語が最後に現れるのは、ニーチェの最晩年(1888年夏)に書かれたひとつの遺稿断片〔2.11.358〕である。ここで「運命愛」は、ニーチェの最後の神ディオニュソスの名前と結び合わされる。生成して止まない現実の世界全体をあるがままに「よし!」とする「大いなる肯定」が、ここでは「ディオニュソス的世界肯定」と呼ばれている。だが、現実の世界全体は同時に永遠の循環であり、ディオニュソス的世界肯定は、言い換えれば「力への意志」の純粋な体現は、そのまま永遠回帰の肯定、運命への愛となる。「生存に対してディオニュソス的に立ち向かうこと、──これこそおよそ哲学者たる者の到達できる最高の状態である。それをあらわす私の公式が運命への愛である…」。この断片のわずか20行あまりの第1段落には、「ニヒリズム」「ディオニュソス」「大いなる肯定」「意志」「永遠の循環」などの、ニーチェ哲学の要となるほとんどの概念が現れ、それらをしめくくるものとして「運命への愛」が語られるのである。この断片は、「どの点で私は私と等しいものを認識するか」と題されていて、ここでも「運命への愛」が、ニーチェの哲学する姿勢における単なる気分的決意にすぎないような印象を与えているが、そこに述べられている内容は、この概念がいわばニーチェの全思想の結束点であることを、そしてニーチェの哲学する姿勢そのものが、ニーチェの個人的な性向からではなく、思想そのものに厳しく規定されたものであることを示している。なお、ニーチェが彼の思想を、運命への「愛」という情緒的なものに集約したことは、プラトンの「エロス」、スピノザの「神の知愛」などをも思い起こさせ、西洋哲学全体を巨視的に見るときにも一考に値する点であろう。


弘文堂「ニーチェ事典」より引用



 
―― 以下、PANIETZSCHE ニーチェU 第十一章 2.永劫回帰と有時より ――

永劫回帰という言葉に象徴されるものは、生の主体者〈私〉を時間の中の存在者という位置づけにするのではなく、生成が存在と時間であると同時に、世界の全ての価値が認識(生の実験)によって我々に還元可能となるということだろう。

過去、現在、未来に境界がない永劫回帰の時間概念は、神仏の視点でとらえるキリスト教的直線時間(天地創造から最後の審判まで)や、仏教的な円環(輪廻)などの客観的時間概念ではなく、瞬間が過去であるのと同時に未来でもありえる「生」の主体者を中心にした時間概念であり、一切を「然り」という聖なる言葉で肯定する「運命愛」によってもたらされる世界観である。

ツァラトゥストラでの精神の三つの変化の後、たどりつく小児の無垢なる遊戯の境涯において、自然と渾然一体となり、存在と戯れながら「然り」という聖なる言葉を発する。

子供が遊びに夢中になる時、「無我(夢中)」や「忘我」となる。

この主体者の境涯は仏教の「相即相入」や「入我我入」「事事無礙」と類似する。

ディオニュソスがもともと狂乱と陶酔の酒神であることから考えても「ディオニュソス的肯定」と「三昧」が類似していることが分かる。

永劫回帰の時間概念は道元禅師の「正法眼蔵 有時」と驚くほど近似であり、運命愛の「然り!」は、同じく道元禅師の而今(今に生きる)に相通ずるところがある。

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