永劫回帰
 
 
1.最高の肯定

最晩年の『この人を見よ』では、永遠回帰は「およそ到達しうるかぎりの最高の肯定の定式」とされている。自然の全体、そのなかでの人間の生、その混乱と苦悩、理性と勝利と敗北、情熱の狂奔と萎縮―それらいっさいを肯定しうる最高の名称が永遠回帰だというのだろう。思い出されるのは、やはり世界の肯定を定式化した処女作『悲劇の誕生』の一節である。「美的現象としてのみ、人間存在と世界は永遠に是認される」〔『悲劇』5〕とそこには記されていた。発端の「美的現象」としての人生と世界の「正当化」と、終焉の「最高の肯定の定式化としての永遠回帰」とのあいだには、切れそうで切れない一本の糸がつながっているようだ。もちろん「美的現象」としてのみという限定が『悲劇の誕生』でついている以上、そこには大きな変化があると考えることもできよう。まずは、この思想の成立の事情を見ておこう。『この人を』にはこう記されている。

〔紙片のメモ〕「永遠回帰の思想、このおよそ到達しうるかぎりでの最高の肯定の定式は、1881年の8月に始まる。その時この思想は〈人間と時間のかなた6000フィート〉という言葉をつけてとっさに一枚の紙片に走り書きされた。私はその日、ジルヴァプラーナ湖のほとりの森を散歩していた。ズルライからほど遠からぬピラミッド状にそそり立つ巨岩の下に来て私は歩みを止めた。その時この思想が私を襲ったのである」〔『この人』9.1「力への意志」〕が80年代初頭からの長い熟成過程を経て定式化を見たのに対して、ここには一瞬の高圧電流がもたらす痙攣が、神経が焼き切れるばかりの戦慄と震えがある。数日後、ガスト宛にニーチェは書いた。「私の地平には、いまだ見たこともないような思想が立ちのぼっています。…ああ、友よ、私はきわめて危険な生を生きているという予感が頭のなかをめぐっています。…私の感情の強烈さは、私をして戦慄させ、また哄笑させずにはおきません」。
ところで先の「一枚の紙片」の走り書きとおぼしきものが、最新の全集に収録されている。

「同じきものの回帰―草案
1.もろもろの根本的誤謬の体現(Einverleibung)
2.もろもろの情熱の体現
3.知と諦念的知の体現(認識の情熱)
4.無垢なる者。実験としての単独者。生の軽減、低下、弱化―移行
5.新しき重し。同じきものの永遠回帰。いっさいの来るべきものにとってわれわれの知、迷い、われわれの習慣、生活様式がもつ無限の重要性。残された生をわれわれはどうするのか?―この生の大部分をわれわれは、基本的な無知の中で過ごしてしまった以上。われわれはこの教えを教える。―これこそが、この教えをわれわれ自身に体現させるためのもっとも強力な手段である。もっとも偉大な教えの教師としてわれわれの独自の幸福。
1881年8月初め、ジルス=マリーアにて海抜6000フィートの高さで、そしてあらゆる人間的事物から離れることさらに!高く―」〔遺稿1.12.80〕

メモが終わったあと、さらに十数行のコメントが続く。夏の後半からニーチェは、永遠回帰が閃いた瞬間に向けての知的伝記を『ツァラトゥストラ』に仮託して展開する作業にとりかかる。遺稿にはそのための無数の断片やメモが残っている。


2.紙片メモの解釈

引用からわかるように、永遠回帰は啓蒙以降の思想である。世界と人生について人類が築きあげてきたもろもろの解釈はまったくの誤謬であった。また、愛の情熱も芸術の夢に賭けた生も、ただただ空虚であった。そうしたものは、しかし一度は人間の中に血肉化され体現(Einverleibung)されねばならなかった。なぜなら、そこには、絶対の真理、絶対の価値を求める激情があったからである〔メモの1と2〕。だが、まさにその激情が、つまり、ニーチェが真理への意志、認識への衝動と呼んだものが、こうした世界解釈への誤謬性を、情熱の無意味性を、そして認識そのものの馬鹿馬鹿しさをつきつけることになる〔メモの3〕。これこそが彼の見た、そして彼の遂行した啓蒙の結末である。認識が自己自身を支える衝動を無として認識する―この自己認識を生きる生は、なにもわかることはないという諦めを伴った海図なき航海となる。つまり、実験でしかなくなる〔メモの4〕。紙片の続きにはこう記されている。「認識の情熱の究極はこうである。すなわち、この情熱の存在にとって、認識の源泉および力であるもろもろの誤謬と情熱を維持する以外の手段はない」。認識のための実験的生についてはさらにこう言われている。「個人なるものとしてのわれわれを否定すること、できるだけ多くの眼で世界を見ることであり、また、眼を開くためのもろもろの衝動と営為のうちに生きること、時には生に身を委ね、その後でしばらくは、眼となって生を上から安らかに眺めること」に存する。ここにはショーペンハウアーのモティーフが生きている。

そして第五段階。唐突に「新しき重し。同じきものの永遠回帰」が言われる。第四段階では、人類の歴史は子どもの遊びと同じであった。目的も意味もなく、ただ争いと幻滅が、力のゲームがあっただけである。これからも遊び続けるだろう。だが、啓蒙以降のショーペンハウアー的まなざしは、その遊びを冷ややかに見る「多くの眼」を獲得した。生は総体としては「小児の遊戯であり、そしてそれを多くの眼が眺めていることになろう」。重要なのは、「前者の状態および後者の状態を思うままにすること」である。「ところがここで最も重苦しい認識が出てきて、あらゆる生き方をきわめて疑わしいものにしてしまう」とニーチェは続ける。それのみよって、これまでの人類の生の全体に対抗し、また未来の人類に襲いかかるいかなる悲惨にも対抗できる重しとなる認識である。それは、万物と人類史のいままでの部分は永遠に繰り返されるし、またそうでなければならない、という認識である。

情熱と衝動にもとづく誤謬に深く沈み込んでいた状態から、認識による解放を経て、さらにまた、その認識も情熱や衝動を栄養源にしているというメタ認識に依拠した諦念を経て、生は軽減され、軽やかになり実験性を獲得する―ここに啓蒙以降の知がとりうるオプションがあることは、たしかであろう。一般にデカダンスと言われたり、世紀末と形容されたりする、ある種の反抗的知性の源泉でもある。俗世間の利害関係を嫌い、ブルジョワのむなしい生活にコミットしないという拒否の姿勢である。だが、ここからどのような理由で、世界の運航について「すべては永遠に繰り返す。それはわれわれの力ではどうにもならないことだ」という重苦しい結論がでてくるのだろうか。


3.存在論と瞬間的経験

ジルヴァプラーナの閃光とおそらくは狂いはじめていた神経の譫妄、その経験の「強度」(クロソウスキー)を度外視すれば、永遠回帰の教説は存在論としては、ある程度の再構築は可能であり、事実ニーチェもさまざまに試みている。たとえば、歴史のすべてが、いや自然も含めていっさいが「力への意志」のまったく偶然で無計画な戯れの産物であるとしたら、その戯れを司る原理というのはあるのだろうか。その戯れはどのように形容できるのだろうか──このように問うことはできよう。答えはこうである。時間が永久に続くとしたならば、すべてはいまいちど同じように展開する可能性を確率として秘めているのではないだろうか。悠久無限の時間のなかで有限のエネルギーがぶつかりあう以上、かつてあったのとまったく同じ配置も生じうるのではなかろうか。ちょうど、どんなに多くのサイコロがあっても飽きずにふり続けていれば、いつかは同じ配置のサイコロの目がでるのと同じに──。

ここにも、啓蒙以降の機械論的自然観に依拠した思想実験がある。数学に弱く、すんでのところで高校の卒業試験に落ちるところだったニーチェではあるが、80年代になってからは、かなり多くの自然科学関係の文献を渉猟していたことが、明らかになっている。そのなかには、当時としては衝撃的なエネルギー保存の法則を論じたローベルト・マイヤーの著書・論文も含まれている。ニーチェは、マイヤーがまだ法則のうちに物質の介在を承認していると非難し、存在するのは唯一エネルギー、力であると友人の手紙論じている。だが、こうした存在論的再構成とニーチェの経験の質とのあいだに──そのどちらにも啓蒙以降の知のオプションであっても──落差のあることはすぐに感じとれる。また古典文献学者としての教養にギリシアの円環的世界像が含まれていたことも確かである。『生に対する歴史の利と害』(1874)にはその一端が窺われる。「結局のところ、もし同じ星の組み合わせが出現するたびごとに、同じできごとがその都度細部にわたるまでそっくり地上に再生産されるというピュタゴラス派の確信、すなわち、星々が特定の位置に来るたびごとに、ストア派の人物はエピクロス派の人物と手を結んでシーザーを暗殺し、コロンブスはアメリカ大陸を発見するはずであるという彼らの確信が正しければ、その時こそは、ひとたび可能であったすべてのことは、再び可能でありうるだろう」〔『反時代的』2.2〕。だが、こうした歴史的下敷きが多少は働いていたとしても、誤謬の体現でしかない、ほとんど宗教的な(ピュタゴラス派的)世界解釈と、その誤謬を看破した啓蒙を経た後の思考実験のあいだに、あるいは、実体的もしくは存在論的な世界解釈と脱魔術化された世界の中での主観性の瞬間的経験とのあいだに隔絶があることも見逃してはならない。

だが、この瞬間的経験とはなんであろうか。それは、なんらかの理解可能な客観性を取っているのだろうか。クロソウスキーは逆に、この経験がなぜそのままの形でニーチェの思考のなかに存続することなく消えてしまったのか、高揚した気分はいかにして至高の思想になりうるのか、あるいはそもそもなりえないのか、と問うほどである。とはいえ、その気分の痕跡は一応辿りうる。

1882年に出た『悦ばしき智恵』の最初の版の最後から二番目の「最大の重し」と題されたアフォリズム〔341〕にはこの「深淵の思想」がおそるおそる語りだされている。──しかも、「仮にそうであったら」という想定を述べる仮定法を酷使して。「ある日、あるいはある夜、デーモンがあなたの最もさびしい孤独のなかまで忍びよってきて、こう言ったらどうだろう。〈おまえは、おまえが現に生き、これまで生きてきたこの人生を、もう一回さらには無限回にわたり、くりかえして生きなければなるまい。…あらゆるものが細大洩らさず、そっくりそのままの順序でもどってくるのだ。──この蜘蛛も、こずえを洩れる月光も、そしてこのいまの瞬間も…〉」。主人公がこの思想に耐えられ、それを体現するまでに熟する過程を主題とした『ツァラトゥストラ』においてすら、目的も意味も知らない時間の円環性が告げられるのは、第3部「幻影と謎」の章になってからである。「瞬間」という名のかかっている門の前で「重力の精」に語りかけるツァラトゥストラの言葉はなおもためらいがちの疑問文である。「およそ走りうるすべてのものは、すべてこの道を走ったことがあるのではないだろうか?およそ起こるうるすべてのことは、すでに一度起こり、行われ、この道を走ったことがあるのではないだろうか?…ここに月光をあびてのろのろと這いまわっている蜘蛛、この月光そのもの、そして門のほとりで永遠も問題についてささやきかわしている私とおまえ、──われわれはみな、すでにいつか存在したことがあるのではないだろうか?──そしてまだめぐり戻ってきて、あの向こうへ延びているもう一つの道、あの長い恐ろしい道を走らなければならないのではなかろうか。──われわれは永遠にわたってめぐり戻ってこなければないのではなかろうか?」。だが、仮定法と疑問文に現れているのは、自信のなさというよりも、経験の強烈さ、そしてその美的な瞬間的性格であろう。また、どちらも、深夜、月の光、蜘蛛の糸が書き割りとして出てくる。この不気味な光景は、研究者によっては幼児の頃のニーチェの引っ越しの体験に由来しているともされている。父の死後ナウムブルクの町に住むとき、深夜の月光のなかで満載した荷車が動きだすときの寂寥感が──妹の伝記にも出て来る──ツァラトゥストラの凄惨な孤独にしみこんでいたかもしれない。存在の無意味性の美的経験がこの永遠回帰の思想の核にあることを示す傍証となろう。

だが美的経験である以上、すべてが回帰することに耐えられない美的な理由がある。それは、もしすべてがかつてあったとおりに繰り返されるならば、キリスト教徒のルサンチマンも、ヴァーグナー固有の、薄汚い権力のセンチメンタリズムも、プラトン=ソクラテスの理想主義も、そしてヨーロッパから生に輝きを奪ってしまった禁欲道徳も、すべてかつてあったがままに繰り返されることになる。美的趣味からすれば耐え難い種類の「文化」の形態が無限回にわたって襲うことになる。この考えにツァラトゥストラ=ニーチェは呻吟する。果たしてそのことに耐えられるのか。この問題も繰り返し主観化される。この点で重要なのは同じく「幻影と謎」の一シーンである。先の対話の後で、風景が突如として一変する。すると、そこには一人の若い牧人が倒れてのたうちまわっている。彼の「口からは一匹の黒くて重たい蛇が垂れさがっていた」。牧人の喉の奥深く噛みついているこのどす黒い蛇こそ、いっさいの醜いものの回帰を象徴している。牧人はそれを克服する。「〈噛むんだ!〉──私はそう絶叫した、私の恐怖、私の憎悪、私の嘔吐、私の憐憫、私の善意と悪意のなにもかもが、ただひとつの絶叫となってほとばしった。──…牧人は、私の絶叫のとおりに噛んだ。力強く噛んだ!…もはや牧人ではなかった。もはや人間ではなかった。── 一人の変容した者、光につつまれた者であった」。

今ひとつ「気分の痕跡」としても重要なファクターは、この永遠回帰を認識するその瞬間も回帰するという経験である。『悦ばしき智恵』でも『ツァラトゥストラ』でも先に引いた箇所にはそのメタ認識が組み込まれている。人類の誤謬の歴史の結果としてニーチェが辿りついたこの永遠回帰の知は、これまで誤謬を生み出してきただけの力への意志がそこにおいて自らの盲目的性格を明確に認識する──しかも、その盲目的な力への意志によって認識するものであった。認識と誤謬がその究極において収斂している。だが力の戯れはそこにおいて永久の静止状態に、完全な均衡関係に入るわけではない。大いなる正午、太陽が天頂にかかるのは、瞬間であり、しかもその瞬間をそれとして認知できる者にとってのみであろう。永遠回帰の認識もまた過ぎ去る。またもむなしい営為が繰り返され、価値の闘争が続くであろう。だが、この一瞬が、つまり世界が認識によって輝き、ニーチェのメモを引くならば「快楽の絶対的過剰が証明される」この一瞬がめぐってくるならば、この生は生きるにあたいする──こうニーチェの経験は語っているようである。

このあたりが「気分の痕跡」といえるものである。もっともここにはサルトルも指摘することだが、瞬間的経験のナルシズム的重視もある。すでに2年前にガストに宛てて次のように書かれていることをサルトルは指摘する。「私も35歳が終わる。…この年にダンテは幻視を見ている」〔1879.9.11〕。いずれにせよ、この気分はニーチェが、力への意志という形而上学的な思想、そして価値の転換や超人の思想などとの整合性をつけるべく苦闘しているうちに、変質していった(体系化への意志の存在とその蹉跌については、ポーダッハの文献学的な分析がある。Erich F. Podach,Friedrich Nietzsches Werke des Zusammenbruchs,1961)。もちろん実体的な世界観として永遠回帰が提示されているふしにも充分にある。レーヴィットなどはそのあたりを踏まえて、ニーチェの永遠回帰は「近代性の頂点における古代の円環的世界観の取り返し」であると論じている〔『ニーチェの哲学』〕。

他方、狂気の進行とともに、美的経験は、客観的世界と融け合い、崩壊なのか爆発なのか定めがたいとてつもない言説となって展開する。そこでは個人という同一性も崩壊する。なぜならば、すべてが回帰するならば、この私はかつて存在したすべての歴史上の人物であってもおかしくない。いや、「この私は」という仮の主語そのものが意味をもたなくなる。私はナポレオンであったかもしれない。しかし、ナポレオンであった以上、この私は統一的な一個の存在ではないはずだ。このあたりの消息は、狂気の手紙に窺い知ることができる。1889年1月3日コージマ・ヴァーグナー宛ての手紙にはこう記されている。「私が人間だというには偏見です。私はすでにいくども人間たちのなかで暮らしましたし、人間が経験できるすべてのことを、卑小なことから最高のことまで知っています。しかし私はインドでは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。──アレキサンダーとシーザーは私の化身です…。最後にはヴォルテールとナポレオンでもありました。ひょっとしたらリヒャルト・ヴァーグナーであったかもしれません。今回は勝利に輝くディオニュソスとしてやってまいりました。…私は十字架にもかかったことがあります」。同一性の崩壊による世界史の通観。ドゥルーズ=ガタリは『アンチ・オイディプス』で、こうした手紙のなかで分裂者ニーチェは通常のカレンダーを超えていると指摘し、「これまで分裂者と同じ仕方で分裂者と同じほど歴史を深く学んだ者はいない」と述べている。クロソウスキーはこの「神々の乱舞」について、「それはつまり、思考する主体が、自分自身からその主体を排除するような統一性を持った思考のせいで、みずからの同一性を失ってしまうことだろうか」〔Nietzsche et le circle vicieux. Paris 1969〕と自問をしている。

こうして見てみると、冒頭に触れた問題、つまり『悲劇の誕生』における「世界と人生美的現象としての正当化」と「到達しうる最高の肯定の方式」としての永遠回帰との関係については、美的経験という線がつながっていることがわかる。ひとつだけ違うのは、その経験が体系化に伴い著しく水増しされ、ときには存在論的様相を帯びている点である。だが、基本的には、壮大な高揚の感覚であり、その意味で美的経験であった。ジルヴァプラーナ湖畔の紙片にもこうある。「だがそのことに叩きのめされないためには、われわれは同情を大きくしてはならない。無関心が深くわれわれのうちに働いていなければならない。また眺めることの楽しみが」。「眺めることの楽しみ」──依然として「見る」ことの過重がある。美的な視線といってもいい。ここには、古代以来のテオリア(観想)の心性が、利害なき直観、「感覚を楽しんで眺める」という近代の美的心情と、ポスト啓蒙におけるひとつの知的オプションが溶け合っている。


4.さまざまな解釈

こうして見ると、この今がなんど繰り返されてもいいように生きよ、というジンメル‐阿部次郎的な倫理的解釈は―ニーチェのテクストにもそれを思わせる要素もあるが―まったくはずれていることになる。またハイデガーもいささか怪しいことになる。ハイデガーに言わせれば、「力への意志」は、存在の根本性格をニーチェが名付けたものである。その意味では存在の総体を神、イデア、精神、意志、物質、力、エネルギーなどと形容してきた西洋の形而上学の完成=終結でしかない。しかしニーチェは「存在者の存在」にまで問いを深め、「存在に生成の性格を刻印し」それを永遠回帰と呼んだ、というのである。だが、ハイデガーによるこの整理は、まさに経験の強度が失われだしたいくつかのテクストについてのものでしかない。自分の思想を自然科学的に根拠づけるべくウィーン大学に入りなおそうとしてルー・ザロメを誘ったりしたニーチェでしかない。また、今さら永遠回帰などを論じても意味はない、そうした時代は去った、というハーバーマスの醒めた発言(Vorwort zu;Friedrich Nietzsche,Erkenntnistheoretische Schriften,Frankfurt a.M.1968)も問題視されてしかるべきであろう。

永遠回帰はやはり、基本的には美的な経験である。だが、美的な経験だからといって、気軽に受け止め、その凄味を追体験すればいいというものではない。なぜならば、知の歴史におけるニーチェの最大の功績は、古代以来の啓蒙の恐怖は美的恐怖であったという指摘にあるからである。聖なるものを涜すとき、性と死のタブーを破る啓蒙の味わう怯えの一瞬に、既成の意味の世界が崩壊し、社会的再生産お下支えとなっていた安定した日常が吹き飛ぶ。また、その啓蒙の冒涜行為はたえず、神話的暴力によって復讐される。啓蒙をたえず無力化する暴力の恐怖、その瞬間にもすべてが解体する、ギリシア悲劇でいくどもいくども語られるこの恐怖に近代人ニーチェは美の絶対性を見ていた。啓蒙的暴露の恐怖、どんな啓蒙もかなわぬ―そして啓蒙によって明らかになる―無の永遠性から発する神話的暴力。幸福の不可能性。ここにこそ美的経験が、余暇の芸術鑑賞と異なる面がある。

この点を見ていたのがヴァルター・ベンヤミンである。意味が無意味によりかかっていることの発見は、エッセイ「破壊的性格」にあるように「既成のものを瓦礫に変えてしまう」。シュルレアリズムの破壊力に表れるこうした実験は「さわやかな空気と自由な空間への渇望」でもある。だが、19世紀末の狂乱する資本主義のなかでは、その幸福の願望は、商品社会にひそむ神話的暴力によって絶えず無化される。また、いままでの幸福の願望がすべてそうであったように、幸福を不可能にする神話的暴力のカテゴリーによって混濁された表現にならざるをえない。その点をベンヤミンは。「『ツァラトゥストラ』よりも10年早く」ブランキの『天体による永遠』に描かれた永遠回帰のもうひとつのヴィジョンと関連づけて論じている。そこにも商品の無限の循環、そして商品が振りまく幸福の影が投影されている。「永遠回帰の思想は歴史的事件をすら大量生産商品にする」〔「セントラルパーク」〕。「永劫回帰の理念は泡沫会社乱立時代の悲惨のなかから幸福の幻影(Phantasmagorie)」を魔術的に生み出す。彼に言わせれば、この教説は、相互に矛盾しあう快楽の方向、つまり繰り返しの快楽と永遠性の快楽を結びつける」〔『パサージュ論』〕。その意味で永遠回帰の文体は、絶望のなかでの自己肯定の欲望であり、欲望でしかない希望の表れである。先に人類の犯してきた誤謬のなかにも「人類であることを超えた極北への意志」をニーチェは見ていたと書いたが、この〈絶望の中での自己肯定への混濁した希望〉こそ、まさにそれである。絶望の中の美的希望をニーチェは、狂気の書『アンチクリスト』の冒頭にこう書いてある。「われわれ自身の顔をはっきり覗こうではないか。われわれは極北の人々(Hyperboreer)なのだ。いかに辺鄙なところで生活しているかをわれわれはよく知っている。〈陸路でも海路でも極北の人々のところには行けない〉とすでにピンダロスがわれわれについて語っている。北の彼方、氷雪の彼方、死の彼方、──われわれの生、われわれの幸福…われわれは幸福を発見した。われわれは幸福への道を知っている。何千年もの迷路からの脱出口を見いだした」。


弘文堂「ニーチェ事典」より引用



 
―― 以下、PANIETZSCHE ニーチェU 第十一章 5.サイコロ遊びより ――

デーモンの問いに「然り!」と答えるためには、現在あるがままの君自身を変化させ、紛糾し続ける自己超克の運動を継続するしかないだろう。

何故なら、何の変化もなく現在あるがままの君自身でいつづける人生に無数度にわたって回帰することを想像すれば容易である。

ニーチェが主著と予言した「力への意志」を断念せざるをえなかった理由は、力への意志なる原理によって世界を永遠の反復運動と解釈すること、即ちあるひとつの世界像をニーチェ哲学の帰結とする矛盾を破棄したためである。

何故なら、個々の結合関係や相互作用がたとえディオニュソスかつカオス的であったとしても、ある原理によって構築される世界の全体像やその思想は、ニーチェ自身が批判対象としてきた創造性の欠如に陥るばかりか、結果的には別様の形而上学の提示にしか過ぎないからである。

ツァラトゥストラによって宣言された神の死後の主役は、サイコロ遊びに高じる大地の認識者である我々自身であり、世界や生や存在は認識者の実験的遊戯によって如何様にも解釈され創造される対象となるべきであり、そこに普遍的な原理や意味や価値など必要としない。

神の死後に新たな真理を創出するという奇術の繰り返しになりかねない「力への意志」は、ニーチェ自身によって破棄されるが、過去から未来へ不可逆的に流れる時間が現在に集約される(而今:今に生きる)、あるいは相互依存による生成・変化・消滅(相依性縁起)に還元される仏教的な永劫回帰こそ、シルヴァプラナ湖畔を散策中に巨大な尖った三角岩のほとりで襲来した「永劫回帰」の思想であると思う。

ニーチェは健康の最下点にあった時期の散策途中に、ある種の意識状態に陥り、仏教的な見性にかすって体得したのが「永劫回帰」という時間および存在概念であったように思う。

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