初期仏教
3.筏の喩
( 引用 )比丘たちよ、教え(法)というものは筏(いかだ)のようなものであることをなんじらに示そう。

譬えば街道を歩いて行く人があって、途中で大水流を見たとしよう。そしてこちらの岸は危険で恐ろしく、かなたの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡舟もなく、また橋もないとしよう。そのときその人は、草、木、枝、葉を集めて筏を組み、その筏に依って手足で努めて安全に彼方の岸に渡ったとしよう。 かれが渡り終わってかなたの岸に達したときに、次のように考えたとしよう。すなわち『この筏は実にわれを益することが多かった。われはこの筏に依って手足で努めてかなたの岸に渡り終えた。さあ、わたくしはこの筏を頭に載せ、あるいは肩に担いで、欲するがままに進もう』と。なんじらはそれをどうおもうか?そのひとがこのようにしたならば、その筏に対してなすべきことをしたのであろうか?

そうではありません、師よ。

比丘たちよ、教え(法)とは筏のようなものであると知るとき、なんじらはたとえ善き教え(法)でも捨て去るべきである。悪しきものならばなおさらのことである。

(マッジマ・ニカーヤ 22)
Panietzsche仏教が他の宗教と一線を画するのは排他的ではなく融和的であることがあげられる。仏教は伝来する途上でインドや中国の神々を仏教の護法神として取り込んでいった。日本に伝来した後も神仏習合や本地垂迹として日本の神々を包括していった。

日本仏教の父でもある聖徳太子の「和を以て貴しとなす」は仏教的な精神を根幹とする。神棚と仏壇が同居する一般的な日本の家庭はこの仏教の融和的な精神を表しており、排他的かつ独善的になりがちな信仰やドグマにあって、仏教ならではの長所でもある。日本人の精神的風土にも好影響を与えている。

教相判釈といえば天台大師智による五時八教が有名で、法華経を最上の経典とする法華一乗の根拠となっている。但し、全ての仏典は釈尊の直伝であるという当時の理解を前提として、限られた情報から内容や時期を分類し、高低・浅深・優劣を判定、解釈したものである。現在、諸仏典の成立時期はほぼ特定されており、大乗仏典に至っては釈尊の直伝ではなく後世の仏弟子や高僧によって成立したことが判明している。

当時のインドでは文字は主に商用とされ、忘れないために書き留めるものであり、仏説を文字として書き留めることは、法宝である釈尊の教えを身から離すということを意味した。そのため結集は口伝とされ、その期間は400〜500年と言われている。原始仏典でさえ長い年月の口伝の後に文字として残されたものであり、どの仏典が釈尊の説法を伝えたものであるかは、今となっては判別しようがないのである。また華厳宗では法蔵が提示した五教十宗の教判があり、最高とされる円教の中に『華厳経』、『法華経』が分類され、かつ『華厳経』が『法華経』より上位におかれている。

釈尊は対機説法の達人でもあった。
相手の機根に合わせて、さまざまな比喩をもって説法されたが故に多くの仏典が残されていると考えることは、ごく自然な解釈であろうし、全ての衆生に合わせた法門が用意されているのが仏教であると考えることが妥当であろう。

「筏の喩え」にもあるように、法門(仏典や仏道、教義や宗派)とは道程や乗り物であり、最終的には捨て去るべきものであると説かれている。法門に固執することを戒めているのは他宗教にない仏教ならではの懐の深さであり長所と言える。

多くの仏弟子や高僧、菩薩による修行と学究の成果である諸仏典は釈尊を起点とした叡智の結集である。これらに高低・浅深・優劣をラベリングすることはナンセンスであり、己の機根に合った法門を選択し仏道を歩む方が遥かに仏教徒らしいあり方と言えよう。

「宗旨の争い釈迦の恥」

見取見(けんじゅけん:自分の見解を絶対視し、他の人の見解を誤ったものとする考え方)や、戒禁取見(かいごんじゅけん:こうすれば禍にあわないとか、こうすれば極楽往生するなど、他人の話を鵜呑みにした上で、勝手に決めた戒律に呪縛され、これが正しい仏修行であると思い込んでいる見解)など悪見(あっけん)に溺れる人は、たとえ僧であれ、指導者であれ、在家信者であれ、仏弟子や仏教徒とは言い難い。

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