第十二章 力への意志
8.最高の意志
Nietzsche要旨再説。
生成に存在の性格を刻印すること──これが権力への最高の意志である。
二重の偽造、これは、存在するものの、すなわち、停滞するもの、等価のものなどの世界を保存するために、感官からと精神からなされる。
すべてのものが回帰するということは、生成の世界の存在の世界への極限的近接である、
──すなわち、考察の絶頂。
存在するものにあたえられる価値から、生成するものを断罪しそれに不満をおぼえることが由来する。これは、そうした存在の世界がまず捏造されていたからのことである。
存在するものの諸変形(物体、神、理念、自然法則、定式その他)。
仮象としての「存在するもの」。価値の逆転、すなわち、仮象は価値授与者であったのである──。
認識自体は生成においては不可能である。それゆえ、いかにして認識は可能であるのか?おのれ自身についての誤謬として、権力の意志として、迷妄の意志としてである。
捏造し、意欲し、自己否定し、自己超克するはたらきとしての生成。すなわち、いかなる主観もなく、行為し、定立するはたらきが創造的なのであって、いかなる「原因と結果」もない。
…〈中略〉…機械論的理論の無用、──それは無意味性という印象をあたえる。これまでの人類の全理想主義は、まさにニヒリズムへと一変しようとしている、──絶対的無価値性、言いかえれば絶対的無意味性によせる信仰へと。(力への意志 第617番)
Panietzscheハイデッガーは上記のアフォリズムをもってニーチェを最後の形而上学者と呼んだ。

我空法空は形而上学ではない。
我空法有は形而上学である。

パニチェは力への意志を中観派の相依性縁起と解釈する。


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