第五章 ニヒリズム
12.物理学万歳
Nietzsche物理学万歳!・・・ここで私は老カントのことを念頭にしているのだ。カントは「物自体」(これがまことに可笑しな代物だが!)を搾取したその罰として「定言命令法」の奴に忍びこまれ、それを胸に抱きしめてまたもや「神」・「霊魂」・「自由」さらには「不死」のもとへと、まるで自分の檻の中へと迷い帰る狐のように、迷い帰っていった。──しかも、この檻を破りひらいたのが、ほかならぬ彼の力であり英知であったというのに!・・・ともあれ、「われわれの行為の道徳的価値」については、これ以上思い煩うことはやめにしよう!全くのところ、親愛なる友よ!お互い同士の道徳的おしゃべりというおしゃべりの一切合切には、吐き気を覚えるばかりになっているのだ!道徳的に人を裁くなどは、われわれの趣味に悖るというものだ!われわれは、こうしたおしゃべり、こうした悪趣味をば、過去のほんの一寸の間ひきずっていく以外の能のない連中に、しかも自分自身は一向に現在することのない連中に、──つまりは多数者たる連中、大多数たる連中に、まかせることとしよう!だが、われわれときては、われわれが本来それであるところの者となることを欲するのだ、──新しい人間、一度きりの人間、比類のない人間、自己立法的な人間、自己自身を創造する人間に、なることを欲するのだ!そのためには、われわれは、世界における一切の法則的なもの、必然的なもの、こよなき学び手とならなければならない。この意味での創造者でありうるためには、われわれは物理学者でなければならない、──それなのに、これまでのところ、あらゆる評価と理想は、物理学の無知もしくは物理学との矛盾の上に築かれていた。それなればこそ、物理学者を祝して万歳を!さらに、われわれを強い物理学へと向かわせるもの、──われわれの誠実、に対して一そうの万歳を!(悦ばしき知識 第335番)
Panietzsche上記はニーチェの物理学に対して最大の評価を与えているアフォリズム。

1902年、英国の王立協会の講演でロード・ケルヴィンは、19世紀までの物理学の発展に対して誇らしげに次のように語った。
「原理的な問題はすべて解決してしまった。いまや物理学は地平線に二つの雲が見られるほかは、綺麗に晴れわたった青空にも比せられる。」
二つの雲とは光の媒介としてのエーテルの謎と熱輻射のスペクトル分布の観測結果が電磁気学と熱力学理論による予測値と一致しないことであった。
この二つの謎がとてつもない暗雲となり後に相対論と量子論という稲妻を生むことになる。

ニーチェが生きた時代は、まさにニュートン力学で全ての現象や運動がいずれ完全に記述されると信じられていた力学万能主義の時代。
ニュートン力学はガリレイの相対性原理を否定するものであり、確固不動の絶対座標系が存在することを前提としたものであり絶対運動や絶対時間を認めるスタンス。
これに異論を唱えていたのはエルンスト・マッハですがニュートンの墓碑には「神、ニュートンあれといいたいければ万物に光ありき」と刻まれている。

幻想や妄想から始まったかもしれない固定した価値で人間を縛ろうとする奴隷道徳に比べ、世界を解釈することによって新しい価値や意味を創造的な側面から物理学の誠実さ称えたアフォリズムである。

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