第一章 解釈の哲学
10.Zの副題
Nietzsche万人のための、そして何びとのためのものでもない一冊の書(ツァラトゥストラ 副題)

およそ不遜な者にして、彼が受けた以上に丁寧な応答を受けた者が、かつてあったろうか?──だが、おお、ツァラトゥストラよ、あなたは彼のそばを通り過ぎ、そして語ったのだ、≪否!否!三たび否!≫と。あなたは彼の誤りに用心するように警告した。あなたは同情しないようにと警告した最初の人だ──万人に向かってではなく、何びとに向かってでもないというのでもなくて、あなたとあなたのたぐいの者たちに向かって。(ツァラトゥストラ 第四部 7.最も醜い人間32)

理解の問題──われわれが物を書く場合、ただたんに理解されたいと思うだけでなく、同様にまた理解されたくないと思うのも確かである。誰かがこれは理解し難いと言ったとしても、それはまだ全然その書物に対する抗議とはならない。もしかしたら、それこそがその書物の意図に属したことかもしれないのだ、──彼は「どこの誰やら」によって理解されようなどとは欲しなかった。すべての高貴な精神と趣味は、それ自身を伝達しようとする場合、その聴き手をも選ぶものだ。聴き手を選ぶことによって、同時に彼は「それ以外の者」に対して囲いを設ける。文体上の微妙な法則の一切は、ここにその起源を有つ。上述のごとく、それは同時に人を遠ざける、距離をつくる、「出入」を禁じ、理解を禁ずる、──が反面それは、われわれと似たり寄ったりの耳をもつものには耳を開けてやる(悦ばしき知識 第381番)
Panietzscheツァラトゥストラの副題は何を意味するか?
この答えは「悦ばしき知識 第381番」にある。

─似たり寄ったりの耳をもつもの─

これがニーチェの選民思想であり「万人のための、そして何びとのためのものでもない一冊の書」を読む権利を有する者である。
ニーチェからすれば、それ以外の者は賤民であり市場のハエどもに他ならない。

CGI-design