超人
 
 
1890年代にはいって流行病のように広がったニーチェ熱はもっぱら『ツァラトゥストラ』によるところが大きい。時代の空気漂うニーチェ熱のなかで、「永遠回帰」や「神の死」とならんで、「超人」という言葉はニーチェ思想の代名詞ともなった。ニーチェ自身は超人の何たるかを明確に規定しているわけでもなく、その受容も多分に『ツァラトゥストラ』の文体が醸し出す独特の雰囲気に浸った陶酔的な共鳴であった。彼らは超人の思想に、まだ明確には表現しえない新しい可能性を読み取っていた。その後の超人思想の受容においてもこの無規定性のゆえに多様な解釈がなされた。

1.『ツァラトゥストラ』以前における「超人思想」の萌芽
「超人」という言葉そのものは、けっしてニーチェの発明ではない。すでにルキアノスにhyperantroposという表現で見られ、ニーチェはそれを読んでいたと推測される。またヘルダー、ジャン・パウル、なかでもゲーテの『ファウスト』における用例も知っていたに間違いない。ニーチェが初めて「超人」という言葉を使っているのは、彼が若い頃愛読したバイロイトの戯曲『マンフレッド』に関してであり、マンフレッドを「霊を思いのままに制御できる超人」と形容している。〔BAW 2.10〕。超人には、マンフレッドやファウストのように通常の人間を超えた能力を持つ者という意味と、「人間とは克服されるなにものかである」という『ツァラトゥストラ』の表現に見られるような、人間自身の自己克服という意味が混じりあっている。すべての限界や束縛を超えて自由へと向かう人間として「超人」が考えられている点では、超人思想の萌芽はすでに初期にあると見てよい。

「超人」を、惰性で慣習に従うだけの生を「超えて」(uber)ゆく者と解釈した場合、英語訳の「スーパーマン」は誤訳だという指摘もある(W カウフマン)。『反時代的考察』〔3.1〕には、そうした「超えて上にある」(uber)の用例がある。ニーチェは「汝自身であれ。汝がいま行い、考え、欲しているもの、それはすべて汝ではない。…汝の真の本質は汝のうちに深く隠されているのではなく、汝の上に(uber dir)、すくなくとも普通自分の自我と考えているものの上に、測りがたく高いところにあるのだ」と記している。だがこの「上に」という表現は、けっして形而上学的な根拠を求めているものではない。自分自身が自己の決定者であるような解放された存在へと、いままでの他律的で卑小な生を自分の力で超え出ることである。それを通常の人間がしないのは、困襲を破る恐ろしさからである。だからこそ「汝自身であれ」という呼び掛けを聞き「真の魂の解放」を想う若者は、恐れおののくのである。

『ツァラトゥストラ』以前の著作には、「超人」という用語例は少なく、意味も一様ではない。『曙光』〔27〕の「超人的情熱への信仰が持つ価値」というアフォリズムはわずかな例のひとつである。そこでは結婚制度が、一時的な情熱が持続しうるという信仰にほかないないとされた後に次のように言われている。「瞬間的な烈烈な献身から永遠の貞操を、憤怒の激情から永遠の復讐を、絶望から永遠の悲哀を、突如な一回的な言葉から永遠の義務を生みだした制度や風習を思うがいい。そのたびごとにきわめて多くの偽善と嘘が生じた。またそのたびごとに、埋め合わせとして、新しい超人的な、人間を高める想念が生じた」。ここでも「超人的」とは、瞬間的な情熱の去った後にもなお制度に身を縛りつづけて貞操を守る禁欲的人間であり、弱者の作りだした偶像的存在としてむしろマイナスの評価を与えている。

これとは逆に『悦ばしき知識』〔297〕で言われる「解放された精神」には、『ツァラトゥストラ』で展開される超人思想の萌芽がある。解放された精神とは「異議申し立てができる力」であり、「伝統で伝えられてきたもの、神聖なものと崇められてきたもの、そうしたものに敵対感を持つこと」から生まれる。この解放された精神のあり方をニーチェは、ある時にはシーザーやナポレオンに、またある時はゲーテに見ている。シーザーやナポレオンの場合には、自己の意志に貫徹のために破壊をも辞さない戦闘的な行動性として捉えられているのに対して、ゲーテについては内面的で静かな自己完成へと向かう自己超克の精神の創造性として捉えている。このようにまったく対極的なイメージで捉えられた「解放された精神」の二つの側面は、後の超人思想にも受け継がれている。

解放の瞬間としての「超人」の意味するものを探る一つの手がかりは、『悦ばしき知識』〔382〕にある。それは未知の真理を探求する認識者を、金羊紙を求めて新たなる航海へと乗り出す古代伝説のアルゴ号の乗組員にたとえた一節である。航海のすえに見えてくる未知の土地、それは「これ以上の飽満は与えられないくらいに、美しいもの、見慣れぬもの、問うに値するもの、恐ろしいもの、神々しいものに満ちあふれている豊かなひとつの世界なのだ。…それは、神聖かつ善であり侵しがたく、神々しいと呼ばれてきたあらゆるものと、意欲せずに素朴に溢れ出る充実と力から遊び戯れる精神の理想なのである」。ニーチェは未知の世界が開示される時の、美と恐怖と神々しさの入り混じった瞬間を「人間的かつ超人的幸福」と呼んでいる。それは超越的存在者なき世界における解放の瞬間を意味している。引用文の「満ち溢れている」(uberreich)、「溢れ出る充実」(uberstromende Fulle)など、過剰(uber)を意味する接頭辞の多い表現は、超人的経験がディオニュソス的な生の充実の充溢と等しいことを暗示している。そこにはかつて『悲劇の誕生』で言われたディオニュソス的陶酔のモティーフが響いている。『ツァラトゥストラ』で「ディオニュソス的」という概念が「最高の行為となった」〔『この人』9.6〕というニーチェの言葉を念頭におけば、超人思想は『ツァラトゥストラ』で突如登場したものでなく、むしろ『悲劇の誕生』における「ディオニュソス的なもの」のモティーフが、「芸術による救済」のプログラムの挫折後に、別の次元で変奏されたものと見ることもできる。だが、そこには大きな変化がある。

2.『ツァラトゥストラ』における「超人」
『ツァラトゥストラ』に関して『この人を見よ』では、「ここではあらゆる瞬間に人間が克服されている」と言われている。芸術におけるディオニュソス的陶酔が、ありきたりの日常を超えた、溢れる生の充実感であっても、それは瞬間の経験である。そうである以上『悲劇の誕生』では、芸術が生と美を一致させる瞬間だけ、倦怠した生は救済されえた。だがそこでは「世界は正当化」されるにすぎず、生のすべての瞬間に対する「大いなる肯定」にはならない。ショーペンハウアー的ペシミズムのたどる内面への撤退にも、また芸術による生の救済というロマン主義的態度にも満足できず、ニヒリズムの積極的な克服へ向かおうとするニーチェは、生を肯定する至福の瞬間を永遠化しようとする。すべての瞬間における生の肯定を構築するためには、「尽きることなく生み出す生の意志」〔『ツァラトゥストラ』2-12〕という意味での「力への意志」と、意志と時間の矛盾を解く「永劫回帰」の思想が必要であった。この二つの思想と密接に結び付くことによって、『ツァラトゥストラ』の「超人」思想はニヒリズムを転回させ、人間の全面的否定を通過して生の大いなる肯定へと向かう。

だが「超人」がほとんどの場合、彼自身の意図とは逆に理解されてしまったことをニーチェは嘆いている〔『この人3.1』〕。カーライルにおけるような英雄崇拝を嫌ったニーチェにとっては、超人が「より高い種類の人間の〈理想的な〉典型として、なかば〈聖人〉であり、なかば〈天才〉として」理解されるのは本意ではなかった。だがこうした誤解が生じるのも不思議ではない。『ツァラトゥストラ』は「超人」について何ら明確な輪郭を与えてはいないからである。来るべき人間として「超人」の代わりに「新しい民族」「新しい貴族」「命令者」という表現が使われていることにも、後に超人思想がナチスに利用されたような誤解を招く要因がある。

「超人は大地の意義である」「人間は動物と超人との間に張りわたされた一本の綱なのだ──深遠のうえにかかる綱なのだ」「超人は稲妻であり、狂気である」「超人は、あなたがたの大いなる軽蔑が没することのできる大海である」など、「超人」について語られるツァラトゥストラの言葉は、つねに比喩的で詩的である。ツァラトゥストラの口からは、超人への道は語られるが、没落の後に来るべき超人が何者かはいっさい語られない。「超人」はアポロとの繋がりを断ち切って荒々しい破壊と陶酔が強調されたディオニュソスと読める部分も、また「認識の正午」におとずれる、あの古代の牧神パンの午後を思わせる静けさと読める部分もある。あるいは三段の変化の最後に現れる幼児、つまり「ひとつの新しい始まり、ひとつの遊戯、ひとつの自力で回転する車輪、ひとつの第一運動、聖なる肯定」〔『ツァラトゥストラ』1-1〕とされる幼児と共通する面を持ちながら、幼児と同一ではない。むしろ何者かとして同定されることをあえて拒否するかのように、多くの矛盾を抱えた言葉である。それは来るべき、まったく新しいものへの予感でしかない。来るべきものを具体的に知ろうとすること自体、「ましな人間」のすることなのだ。「認識するために生きる者、いつの日か超人が現れるために認識しようとする者」というツァラトゥストラの言葉は、「超人」が新たな認識を求める思考実験のための比喩であることを暗に示している。

「超人」はその意味で、いっさいの既成の価値の重力をのがれた思考実験のあげくに現れてくるであろう認識の新たな地平であるとしか、さしあたって言いようのないものである。ツァラトゥストラは言う。「…私はおののきながらも、一本の矢になり、太陽に酔いしれた恍惚を貫いて飛んだ。──どんな夢もまだ及んだことのない遠い未来へ、どんな芸術家が夢想したよりももっと熱い南国へ、神々が舞踏し、衣をまとうことを恥とするかなたへ。…そこでは、いっさいの生成が神々の舞踏であり、神々の気紛れであると思われた。そして世界はいっさいの繋縛から解き放たれて、本来のおのれのすがたに立ち返る」〔?-12.2〕。こうした未知の地平をツァラトゥストラは「比喩で語り、詩人たちと同じように舌たらずなことを言うほかはない」〔同〕という。未知の認識の地平を求める超人はまた「創造する者」(der Schaffende)とも言い替えられている。「創造する者とは、人間の目標を創造し、大地にその意味と未来を与える者のことだ」〔同〕。こうした連関では、超人に与えられた特性は芸術的創造と近い。

批判と破壊によって新たな世界を開示しようとする点で、ニーチェの思考実験にはモダニズム芸術に共通する面がある。だがニーチェの場合に、モダニズムへの離陸が中途半端に終わっているのは、認識問題・価値問題を同時に比喩的な詩人の言葉で解こうとしているためである。現実とは別の可能性の予感──これこそがモダニズム芸術の核である──は、近代的な認識の構図を批判することはできても、それにとって代わることはできない。にもかかわらず、ニーチェはそれをあえて行おうとした。レーヴィットは「なぜツァラトゥストラの教説が、心情を説得することも、悟性を説得することもできないのか」と問い、次のように答えている。「それは彼の教説が、批判的に磨ぎ澄まされたアフォリズムにおいて強みを持つ著作家の形成物であるのに反して、彼の告知が、新約聖書およびヴァーグナーの楽劇とニーチェ自身の偉大な言葉芸術のあまりにも綿密な混合物になっているからである。ニーチェが直接に説得的に語るのは、第五福音書の告知者として語る時ではなく、彼が〈氷雪を溶かす風の言葉〉を話す場合である」〔『ニーチェの哲学』〕。だがこういうレーヴィットさえ、哲学問題としてニーチェの解釈を重視している。実際にその後の受容を見ると、哲学の領域では比喩的語り口の問題は排除されて認識問題に還元されて読まれてきたことが多かったことは事実であり、文体に着目しているサラ・コフマンやポール・ド・マンが研究対象としているものも主に『ツァラトゥストラ』以外の著作である。ツァラトゥストラに比喩で語り、詩人たちと同じように舌たらずなことを言うほかない」と言わしめているニーチェは、「超人」の構想が実験的性質のものであり、既成の哲学的ディスクールを逸脱せざるをえないことを予見していたのだろう。

3.「超人」の受容
1980年代に急速に広まったニーチェ熱は、「超人」をテーマとした文学作品の多さによく現れている。その多くはニーチェ自身が批判した、「なかば〈聖人〉であり、なかば〈天才〉」として「超人」を解釈している。そうした表面的な受容による風潮を揶揄して、当時の文芸評論家レオ・ベルクは「ニーチェが彼の魔術的言辞をはいて以来、ドイツでは突然、だれも彼もが超人になってしまった。…平気で借金をし、娘を誘惑し、大酒を飲むようになった」と記している。またムージルは『ツァラトゥストラ』と『悲劇の誕生』しか読んでいない浅簿なニーチェ熱狂者を『特性のない男』の主人公の妹クラリッセのなかに描き出している。だがこうした一面的であれ熱狂的な受容は、世紀末の鬱屈した時代状況に「超人」が与えたインパクトの強さを如実に物語っている。

「超人」が喚起するイメージは、受容では二つの側面で捉えられている。ひとつは現実に対するラディカルな批判と未知なるものの実験的先取りというきわめてモダニズム的な側面が強調される方向であり、もうひとつは反近代的な英雄性が強調される方向である。この二面性は政治的にも180度異なった方向での解釈をもたらした。トラーやミーザムらの行動主義的な表現主義の作家の間では、「新しき人間」を求める生の変革思想が政治的革命の思想につながった。また、ナチスにとって「超人」は、「新たなる種族」や「支配する貴族」としてナチスを正当化する格好の素材となった。このように「超人」が革命的アナーキズムにも、またナチス・イデオロギーにも解釈されたという事態は、『ツァラトゥストラ』の文体に起因する。『ツァラトゥストラ』が聖書の文体を模しているために、その漠然とした言辞が、なんらかの実践的行動を促すような語勢を持っているためである。「超人」の教説から倫理的価値づけの手がかりを得ようとしたジンメルの解釈、あるいは動物と超人の間にある人間という表現から、本来実存に向かう超越への決意を促すヤスパースの実存主義的な解釈も、ツァラトゥストラのこうした文体に影響を受けている。

文学における『ツァラトゥストラ』の影響については、枚挙にいとまないほどである。ジッド、D.H.ロレンス、ホーフマンスタールやベン、ゲオルゲ、マン兄弟の作品もその影響なしにはありえなかったであろう。そのなかで直接超人をタイトルとしているのがバーナード・ショウの『人と超人』である。「力への意志」を思わせる「生命の意志」という言葉をはじめ、ニーチェの思想を下敷きにしながら、揶揄と皮肉でイギリスの上流社会の滑稽さを描くこの作品は、超人思想に依拠しながらも、超人思想の魔力に陶酔的に嵌りこんでしまうような人間を笑いとばす軽妙さがある。

思想面でも受容において超人が中心テーマになっているのはハイデガーの場合である。ハイデガーは講義録『ニーチェ』のなかでニーチェを形而上学の歴史を完成させ、かつて終焉させるものとみなし、「永遠回帰」をニーチェの「唯一の思想」とした上で、「超人」について次のように語っている。「力への意志の無制約的主体性自身によって樹立された主体、この主体性そのものが最高の主体として、まさに超人が存在せねばならないのである」。「超人」は近代的主観性の典型としてみなされている。「ニヒリズム的に反転された人間が、はじめての典型としての人間なのである。〈典型〉こそが問題である。…それは、大地の支配のために力の本質を無制約に機能づけるということである」。「典型」という言葉はすでにE.ユンガーが『労働者──支配と形姿』(1932)のなかで、市民階級にかわって世界を創造(gestalten)する階級たる人間のタイプを形容した言葉であるが、ハイデガー自身ユンガーの「典型」という概念は、近代と市民社会分化の頂点かつ終焉を示す兆候とみなされている。確かにニーチェ自身も「〈超人〉という言葉は、もっとも出来のよいひとつの典型を表すものである」〔『この人』3.1〕と述べているが、ここにおける「典型」(Typus)という表現は、具体的にまだ内容規定はできてないが、とりあえず新しき人間のイメージを一定の「タイプ」として提示しようとする試みであると解釈すべきであって、ハイデガーのように大地の支配に収束する近代的な主観性と結びつけて解釈することは必ずしもできない。さらにハイデガーの場合、典型としての超人はナチス的人間とあまりにも同一化される。「超人とは、はじめて自己自身を鋳型として意志し、自らこの鋳型へと練り上げる人間の鋳型である」〔『ニーチェ』〕というハイデガーの表現に、ハーバーマスはナチス突撃隊の人間像との近似性を指摘し、問題なのはハイデガーがナチスという形で出現した「超人」による全面的な支配を「ヨーロッパ的ニヒリズムの最終段階」における「運命的な破局」として容認していることだと強調している。

レーヴィットはハイデガーの「超人」解釈がニーチェのテクストからあまりにも逸脱していることに対して「ニーチェが近代技術、回転する発動機の本質は〈等しいものの永遠回帰の形態化〉であるかもしれないなどと、いつ考えたことがあるだろうか」と異議を申したてている。そして、さらに続けて、ハイデガーが超人と永遠回帰と力への意志の教説の統一性を主張しているのは誤りであるとし、まさにその統一性にもとづく解釈こそが、ニーチェを再び形而上学の圏内に引き込んだのだと批判している。この再形而上学化されたニーチェ解釈が、ハイデガーの場合にはナチスを近代の克服と本来性の到来として見せるという錯誤に陥った原因である。

ハイデガーとは逆にバタイユはドイツ軍の放火を間近にしながらニーチェをナチスの影から救う試みを書き記している。「彼が〈世界の支配者〉という表現を口にしていたことを根拠にして、彼に選挙政治の用語で測りうる何らかの意図があったとみなすのはむなしいことなのだ。…ニーチェはこの至高の人間に対して、すべてに耐える精神力を要求していた。しかし原則として、この至高の人間を権力の座についている者とは区別していた。ニーチェは何ひとつ限定せず、ただ可能性の領野をできるだけ自由に描きだすだけにとどめておいたのである」〔『ニーチェと国家主義』〕。

確かに「超人」はハイデガーの解釈におけるように近代的主観性の隘路からの脱出の試みではある。しかしニーチェの超人思考はけっして近代そのものの否定ではない。バタイユの解釈は、認識主体と対象世界の分離にもとづく近代的認識の構図を批判する点ではハイデガーのそれと同じ出発点を持つが、バタイユにおいては近代性全体の廃棄には至らない。彼の「至高性」の概念の記述には「超人」の言葉は使われていないが、「至高性」は超人思想に内在するディオニュソス的契機と同質の要素を持つ。バタイユにおける「至高性」が反近代思考に陥らないのは、あくまでも美的な瞬間的経験として「ディオニュソス的なるもの」を捉え、いかなる実体的存在とも同一化を行っていないからである。「超人」を具体的な権力と同一視する解釈に陥らないためには、戦後まもなくトーマス・マンが述べた次の言葉を念頭に置く必要があるだろう。「ニーチェをそのまま言葉通り受け取り、彼を信じるものは、救いようがない」〔『我々の経験から見たニーチェ哲学』(1947)〕。

戦後の受容では「超人」は中心的な位置を占めなくなった。「超人」が拡大視された受容のありかたは、時代背景抜きに考えられないだろう。


弘文堂「ニーチェ事典」より引用



 
―― 以下、PANIETZSCHE ニーチェU 第十章 1.来たるべき超人より ――

毎日が同じことの繰り返しで、万人は着実に一歩一歩死に近づいていく。
生きることが無意味で、永劫の時間だけが意味もなく経過するなら、人生の労苦は一切が徒労に終わる。

バラモン教(ア−リア人)では、そこから解脱することに人生の意味を見出した。

キリスト教(ユダヤ教、イスラム教も同じ)では永遠に続く時間概念を否定し、時間を天地創造から最後の審判まで直線的に限定することで、人生の意味を見い出し、ここにギリシャ人、イスラエル人にとっての人生の苦悩に福音をもたらした。

ルッター派の牧師の長男として生まれたニ−チェは、この神によってもたらされる福音の他力性や禍因性に抵抗し、神のアンチテーゼとして超人を産出する。

超人の告知者であるツァラトゥストラの「神は死んだ」という言葉と、絶対神であるヤハウェ(アラ−)に対抗する新しい時代の理想的人間の象徴である超人をもって、中東の一民族によって創出された唯一神という幻想による奴隷的支配から人類を解放することを提起した。

絶対的真理やあの世(背後世界)の否定と創造的生(カオスかつディオニュソスなるもの)の肯定。

人生は審判のためでも、来世のためでもない。

生は真理に拘束されたり罪深いものとされるような対象ではなく、むしろ生の主体者である自己との相関関係によって、あらゆるものの価値や意味が認識者によって創出されていくようなダイナミックな運動であると主張する。(生の遠近法)

考えようによっては最後の審判や輪廻やカルマは、現世の生の価値を審判や来世や彼岸に求める思想とも解釈できるがニーチェはこれにも異議を唱えた。

生の意味や価値は生を認識の実験とする者にとっては自己完結的なものとなる。

キリスト教的直線時間も仏教的円環時間も神仏からの客観的(俯瞰的)視点をベースとした時間概念であることは変わりない。

生の主体者の主観でとらえた時間には過去も未来も存在としては空虚なものとなり、現在の瞬間にこそ、すべての時間が集約される。

永劫回帰とは、生の主体者から見た主観的な時間概念でもあり、現在の瞬間に過去・未来が集約され、瞬間が永遠になり、永遠が瞬間になりうるような直観であり、時間も含めたあらゆる価値は、生の主体者である「今に生きる自己」に還元され、自己が世界を解釈することによって創出された存在の一切を「然り」という聖なる言葉をもって全肯定する「運命愛」に至る。

無垢なる遊戯、破壊と創造の反復運動こそが生そのものである。
既成権威との闘争や自己内外の既存価値や既成概念の破壊による新たな創造が自己超克(絶えず自己を上書きしていく運動)であり、人として生まれた特権とも言える。

『さあ!さあ!そなたら、高等な人間たちよ!今や初めて、人間の未来という山が陣痛に苦しんでいる。神は死んだ。今やわれわれは欲するのだ、──超人が生きんことを。(ニーチェ著「ツァラトゥストラ 高等な人間について」より)』

神が死んだ今、価値や意味は相対的なものとしての自由度をもち、既に神から与えられた人生の意味や価値に生の目的はなく、生そのものがやがて生まれる理想的人間の象徴たる超人のための運動となる。

神なき時代にあっては、かつての神に対する契約や忠誠は既に地に落ち、隣人愛は不完全な自己愛の変形となり、かつて天上に支配者として君臨した神に対する愛を抱く必要もなく、将来生まれるであろう超人を愛するべきである(遠人愛)とツァラトゥストラを通じて語る。

自らを進化(自己超克)させる抵抗(重力の精)に向かい、これに打ち克つことによって自己拡大していくことこそ、生物としての本来あるべき生のベクトルでもあり運動(力への意志)でもある。

人として生まれた特権は世界に意味や価値を創出しつつ自己超克し続けることであり、絶対的な真理やトップダウンの善悪二元論道徳は、本来ダイナミックであるはずの生や個性豊かで多様な側面をもつ人間ならではの特権を画一化し弱体化させるばかりか、畜群動物へと後退させるようなマイナス要素があるということを看破した。

全 2件  [管理]
CGI-design